第二章 成り貧社会

ホンモノのお金持ち・ホンモノの貧乏人二元論では、ホンモノの貧乏人が実在するもので、ホンモノのお金持ちはホンモノの貧乏人の不在概念に過ぎない。
言い換えれば、
成り金・成り貧二元論では、成り貧が実在するもので、成り金は成り貧の不在概念に過ぎないのです。
では、
成り貧とは、一体どんな代物でしょうか?
そこで、
貧富二元論の実在である貧とは、一体どんな代物でしょうか?
まさに、
蓄積が一切ない状態が貧に他ならず、自然社会や人間の子供社会には、蓄積の概念どころか観念すらありません。
では、
蓄積の一切ない状態とは、一体何を意味しているのでしょうか?
まさに、
食物連鎖の法則が機能している状態を意味しているのです。
まさに、
地球上のすべての存在物を構成する鉱物・植物・動物が存在し得るために、食物連鎖の法則が機能しているのです。
逆に言えば、
食物連鎖の法則を機能させないものは一切、地球から排除されるのです。
まさに、
地球の存在理由がここにあります。
どうやら、
われわれの生みの親である地球は、お金持ちが嫌いなようです。
なぜなら、
お金持ちは、蓄積を際限なく追い求めるため、地球を維持させる食物連鎖の法則が機能しなくなるからです。
まさに、
欲望が問題なのではなくて、際限がないことが、地球にとっては問題なのです。
言い換えれば、
際限がない欲望とは、極大の欲望だけではなく、極小の欲望も意味しているのです。
従って、
自然(地球)の食物連鎖の法則とは、釈迦が説いたところの中道の精神そのものに他なりません。
まさに、
二元論の真髄が、この中道の精神に他なりません。
そして、
二元論の本質は、二元要因が二律背反するのではなく、補完し合う点にあります。
善悪二元論でたとえれば、
善と悪は対立し合うのではなく、補完し合う、すなわち、善=悪が本質という点にあります。
更に、
善=悪である善悪二元論では、悪が実在で、善は悪の不在概念に過ぎない点にあります。
生死二元論でたとえれば、
生と死は対立し合うのではなく、補完し合う、すなわち、生=死が本質という点にあります。
更に、
生=死である生死二元論では、死が実在で、生は死の不在概念に過ぎない点にあります。
貧富二元論でたとえれば、
貧と富は対立し合うのではなく、補完し合う、すなわち、貧=富が本質という点にあります。
更に、
貧=富である貧富二元論では、貧が実在で、富は貧の不在概念に過ぎない点にあります。
まさに、
ホンモノのお金持ち・ホンモノの貧乏人二元論では、ホンモノの貧乏人が実在するもので、ホンモノのお金持ちはホンモノの貧乏人の不在概念に過ぎない証左です。
言い換えれば、
成り金・成り貧二元論では、成り貧が実在するもので、成り金は成り貧の不在概念に過ぎない証左です。