第十七章 はじめに意思ありき?

言語能力の肉体的要件は、喉頭の位置にあることは、前章で論じました。
ところが、
喉頭が高い位置にある霊長類のチンパンジーにも、ある程度の言語能力はあり、10種類程度の言葉(音)がありますが、われわれ人間社会のように5000種類にも及ぶ言語などありません。
彼らには、言葉を喋ろうとする意思がありません。
なぜなら、
言葉を喋ろうとする意思は、脳のブローカー野というものの働きによって為されるもので、このブローカー野は、われわれ人間だけしか持ち併せていないからです。
従って、
言語能力を有するために、喋ろうとする意思が必要なのです。
まさに、
はじめに言葉ありきではなく、はじめに意思ありきの証明に他なりません。
ところが、
はじめに言葉ありきを主張する聖書世界、すなわち、西欧先進社会では、意思を所有する者は唯一の神だけというわけです。
言い換えれば、
意思を持つものは意志を持つ者で、それは唯一の神だけであって、神以外のすべては、意志を持たない、すなわち、意思を持たないというわけです。
更に矛盾しているのは、
西欧先進社会から誕生した科学の粋である量子力学は、電子といった素粒子でさえ意思を持つと主張しているのです。
なぜなら、
電子は粒子(肉体)だけではなく、波動(意識)でもあるというのが、量子力学の主張の根幹だからです。
そうすると、
はじめに言葉ありきでもなく、はじめに意思ありきでもなく、はじめに言葉と意思ありきということになるはずです。
まさに、
西洋先進社会が自慢する科学の粋は、自己矛盾の極みに他ならない証明なのです。