第十一章 眠りとは覚醒の不在概念

睡眠は必要悪に他ならない、と主張してきました。
言い換えれば、
睡眠は少なければ少ない方がよく、究極的には、睡眠なしで生きることが理想という捉え方を必要悪と言うのです。
なぜなら、
完全な精神と肉体は睡眠を必要としないのであり、不完全な(疲れた)精神は夢の睡眠(REM睡眠)を必要とし、不完全な(疲れた)肉体は熟睡(NonREM睡眠)を必要とするからです。
現に、
肉体の大半は、生まれてから死ぬまで一生休憩なしで働いています。
まさに、
心臓は睡眠など必要としていないで、一瞬の睡眠でも採ろうものなら、あの世行きです。
一方、
肉体の一部である五感だけが休憩を要求し、睡眠の要求こそが五感の休息に他ならないのです。
そして、
五感の働きこそが、自他の区分け意識の働きに他ならないのです。
従って、
肉体と精神の全体感は、休憩(睡眠)など無縁なのです。
一方、
肉体と精神の部分観は、休憩(睡眠)を必要とするのです。
言い換えれば、
自他の区分け意識がない全体意識は、休憩(睡眠)など無縁なのです。
一方、
自他の区分け意識がある部分意識は、休憩(睡眠)を必要とするのです。
更に言い換えれば、
“自分は・・・”という意識が無い意識は、休憩(睡眠)など無縁なのです。
一方、
“自分は・・・”という意識が有る意識は、休憩(睡眠)を必要とするのです。
まさに、
人生における休憩(睡眠)など、必要悪に過ぎない証明に他なりません。
言い換えれば、
睡眠は、覚醒の不在概念に過ぎない証明に他なりません。