第一章 成り金社会

お金持ちの質が変わった。
これが現代格差社会の中で起こっていることで、その結果、貧乏人の質も変わったようです。
まさに、
素封家というお金持ちと、成り金というお金持ちとの二種類のお金持ちがいるように、貧乏人にも二種類いるのでしょうか?
成り金に対して成り貧とでも言うのでしょうか?
従って、
お金持ちと貧乏人が表裏一体の一枚のコインを成す貧富二元論のみならず、素封家と成り金、すなわち、成り金と成り貧が表裏一体のコインを成す成り金・成り貧二元論でもあったのです。
そして、
貧富二元論は、お金持ちと貧乏人が対立するのではなく、補完し合うのが本質であるように、成り金と成り貧は対立するのではなく、補完し合うのが本質であったのです。
言い換えれば、
成り金=成り貧に他ならないのです。
従って、
成り金になろうと思えば、成り貧になればいいわけです。
逆に言えば、
本当のお金持ちになろうと思えば、本当の貧乏人になればいいわけです。
この真理は一体何を示唆しているのでしょうか?
まさに、
問題の本質は、お金持ちか貧乏かの問題ではなく、ホンモノかニセモノかの問題にある証明です。
言い換えれば、
ニセモノならお金持ちも貧乏人も本質的には同類に他ならず、ホンモノならお金持ちも貧乏人も同種である証明です。
しかも、
自然社会を検証してみると、
貧富二元論世界とは、貧が実在するもので、富は貧の不在概念に過ぎないことが厳然たる真理であることがわかります。
そうしますと、
ホンモノのお金持ちと、ホンモノの貧乏人では、ホンモノの貧乏人が実在するもので、ホンモノのお金持ちはホンモノの貧乏人の不在概念に過ぎないことになります。
まさに、
この作品の最大の狙いは、ホンモノのお金持ちを検証するのでなく、ホンモノの貧乏人を発見することにあるのです。