第九章 見える映像 & 見えない実在

見える死は怖くない。
見えない死を怖れる。
ことが問題なのである。
なぜなら、
わたしたちは、見えるものが在って、見えないものは無いと思っているからです。
そうすると、
他人が在って、自分は無いと云うのでしょうか。
なぜなら、
他人は見えるが、自分は見えないからです。
ところが、
137億光年の拡がりを持つ宇宙は、137億年前という過去の姿(映像)を見せていると云う。
1光年先の星は、1年前という過去の姿(映像)を見せていると云う。
太陽は、8分前という過去の姿(映像)を見せていると云う。
月は、2秒前という過去の姿(映像)を見せていると云う。
そして、
1m前にいるあなたの恋人は、3億分の1秒前という過去の姿(映像)を見せていると云う。
従って、
見えるものは実在するのではなくて、単なる映像という実在しないものだったのです。
まさに、
見ている者と見られている者との間には時差が必ずある。
なぜなら、
見ることができるための媒体である光の速度が有限(秒速300,000km)だからです。
平たく言えば、
見るものが認識をした時には、見られる者はもうそこにはいないからです。
なぜなら、
すべての物体を構成している電子は、光が当った瞬間にその場所から別の場所に移動しているからです。
まさに、
見る者の世界と、見られる者の世界は、同じ世界ではない証明に他ならないわけです。
まさに、
見ている者と、見られている者との間には時差が必ずある。
言い換えれば、
自分と、自分以外の他者すべてとの間には時差が必ずある。
更に言い換えれば、
自分のいる世界と、自分以外の他者すべてがいる世界とは、同じ世界ではないのです。
この事実を理解できれば、ジャン・ポール・サルトルが喝破したという、“他人が地獄である”は真理でないことが理解できるはずです。
そして、
“他人が地獄である”が真理でないことが理解できた者は、悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖に苛まれる人生とは無縁になることができるのです。