第二十七章 生死を超える=死を理解する

実在する死と、死の不在概念である生で構成される生・死二元論を超えることによって、実在性を持つ死を本当に理解することができるようになる。
まさに、
生死を超えるとは、生死の真理(本質)を理解することに他ならない。
まさに、
超えるとは、理解することに他なりません。
では、
一体何を理解するというのでしょうか?
まさに、
理解するとは、知ることに他ならないのです。
ところが、
知るということは、知識を得ることとはまったく違う。
まさに、
知るとは、経験することに他ならないのです。
従って、
理解するとは、経験することなのです。
ところが、
経験することを最も忌み嫌う輩が、自分の中に潜んでいます。
まさに、
普段“自分は・・・”と思っている自我意識(Ego=Mind)が、その輩に他なりません。
なぜなら、
死の存在を知った唯一の生きものである、われわれ人間の大人が怖れている死の正体とは、この輩である自我意識(Ego=Mind)の死に他ならなかったからです。
“自分は・・・”が怖れている死とは、“自分は・・・”の消滅に他ならなかったから、怖れるのは当たり前です。
まさに、
消滅=恐怖に他ならなかったのです。
では、
消滅することが、そんなに恐怖することなのでしょうか?
まさに、
“自分は・・・”の消滅が恐怖だったのです。
そして、
消滅自体は恐怖ではなかったのです。
まさに、
死自体は恐怖ではなかったのです。
なぜなら、
“自分は・・・”の意識が消滅することを恐怖していたからです。
なぜなら、
肉体が消滅することが怖いのではなく、意識が消滅することが怖いからです。
まさに、
肉体は滅びても、魂(意識)は永遠不滅と主張する輪廻転生説を信じているなら、死など怖くないはずです。
詰まるところ、
われわれ人間ひとり一人は、肉体は滅びても、魂(意識)は永遠不滅と主張する輪廻転生説などまるで信じていないのです。
まさに、
このことを自覚することこそ、死を理解することに他ならない証左です。