第二十四章 唯物・唯心二元論

西洋的弁証法が形而下学的であったゆえ、実体→現象→本質への論理的展開が、西洋哲学では唯物論へと発展し科学を生んだだけではなく、この唯物論を駆使したカール・マルクスは資本論を展開し、哲学を思想(イデオロギー)へと導いていった。
まさに、
近代化のボタンのかけ間違いが起こったのである。
なぜなら、
形而下学的本質こそ形而上学的真理に他ならなかったからである。
言い換えれば、
唯物論的本質こそ唯心論的真理に他ならなかったからである。
言い換えれば、
西洋的弁証法こそ東洋的問答に他ならなかったからである。
ところが、
唯物論は科学を生んでしまった。
なぜなら、
科学は客観性、すなわち、客観的事実を本質として追究したからである。
だが、
科学の追及したのは、客観的事実ではなく、主観的事実に過ぎなかった。
なぜなら、
科学の追及したのは、事実ではなく確率性に他ならなかったからである。
まさに、
主観的事実に過ぎないものを、客観的事実と詐称したのが、科学の正体だったのである。
従って、
たとえ大半の科学者たちが、この事実に気づかなかったにしろ、能天気のオタク馬鹿のそしりは免れないだろう。
更に酷いのは、
この事実に気づいていたにも拘わらず、黙っていた、いわゆる天才的科学者の罪はとてつもなく大きい。
そして、
唯物論と唯心論は、表裏一体を成す一枚のコイン、すなわち、二元論を構成する関係だったのである。
まさに、
生と死が、表裏一体を成す一枚のコイン、すなわち、二元論を構成する関係だったのと同じである。
そうすると、
生と死を対立要因と捉え、死を怖れる結果、その対立要因である生を求める生き方をしてきた、われわれ人間は、とんだ勘違いの人生を送ってきたことになるわけです。
まさに、
唯物論(肉体)は滅びても、魂(唯心論)は不滅であると信じ込んできた輪廻転生説こそ、勘違いも甚だしい証明だったのです。