第二十二章 死の本質=真理の理解

いくら偉そうなことを言っても、本音のところでは、死を怖れているわれわれですが、本当は、死は怖れるものではなかったのです。
ところが、
この事実を俄かには信じることができないわれわれです。
なぜなら、
死の本質を理解できていないからです。
では、
死の本質について考えてみましょう。
そのためには、
生の本質についても考えなくてはなりません。
先ず、
死は突然に襲ってくることにあります。
言い換えれば、
死は時間を超えていることにあります。
更に言い換えれば、
死は『今、ここ』にあります。
一方、
生はある程度予測可能です。
言い換えれば、
生は時間内の世界です。
更に言い換えれば、
生は過去若しくは未来にあります。
まさに、
死が実在で、生は死の不在概念に過ぎない証左です。
まさに、
死の本質は、その実在性にあります。
一方、
生の本質は、その映像性にあります。
まさに、
死の本質と生の本質は表裏一体のコインにたとえられる所以であり、一様の材質のコインの表と裏が、実在と映像性で表現されているのです。
そして、
表裏一体の一枚のコインとは、二元論を表現する方便に他ならず、コインが何(コインの材質=本質)でできているかということを、実体として一面で示し、片面では実体の不在概念を現象で示すことで、運動世界とは二元論世界、すなわち、実体と現象の二面性を表現する世界であることを示しているのです。
平たく言えば、
世の中(運動世界)の出来事は決して一面的ではなく、功罪両面性(二面性)を有していることを、われわれに教えてくれているのです。
従って、
実体と現象との関係を表現しているのが二元論に他ならないのです。
更に、
実体と現象の功罪両面性(二面性)を超えたところにあるのが、コインが何(材質)でできているかを暗示しているのです。
そして、
本質こそ、真理に他ならないのです。
まさに、
死の本質とは、死の真理を理解することに他ならないのです。