第二十一章 二元論補完感が死の理解を促す

人生の何処かで死の存在を知ったわれわれ人間の大人は、いくら偉そうなことを言っても、本音のところでは、人生最期の今際の死を怖れている。
だから、
われわれ人間の大人だけが、悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖に苛まれる一生を送る羽目に陥ったのです。
よくよく考えてみれば至極当然の話なのですが、
人生最期の出来事が恐怖の死なのだから、いくら途中の人生が楽しくても、心から楽しむことなどできません。
だから、
われわれ人間の大人だけが、悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖に苛まれる一生を送る羽目に陥ったのです。
まさに、
悩みや四苦八苦の究極が死の恐怖に他ならないのです。
言い換えれば、
悩みや四苦八苦→死の恐怖に収斂するのです。
まさに、
仏教用語における四苦が生老病死(生きる苦、老いる苦、病気の苦、そして挙句の果ての死の苦)である所以がここにあるのです。