第二十章 二元論対立観が死の理解を阻害した

われわれは、いくら偉そうなことを言っても、本音のところでは、死を怖れているのは確かでしょう。
ところが、
われわれが死を好くないものと捉えるようになったのは、せいぜい2000年から3000年程度前のことで、それまでの人類は、死を決して好くないものと捉えていなかったことを、われわれ人間は忘却してしまったらしい。
古代ギリシャの詩人ホメロスの著作「イリアス」にこんな物語があります。
ある二人の兄弟の母親が女神ヴィーナスに祈ります。
“わたしの二人の息子たちは、この世的成功を大いに収めましたが、彼らのこれからの人生で何をすべきかをお教えください”
そうすると、二人の息子たちはたちまちのうちに息を引き取った。
驚いた母親はヴィーナスに泣いてその理由を訊ねると、ヴィーナスはこう答えた。
“この世に生まれてこないのが一番さいわいなことだが、生まれてきた者にとってはできるだけ早く死ぬことが一番しあわせなのだから”
まさに、
古代ギリシャ時代の人々は、死は好くないものと思っていなかった証左です。
では、
死に対する価値観が、一体いつどんでん返ししてしまったのでしょうか?
まさに、
われわれひとり一人の人間が、子供の時代の何処かで死の存在を知ったはずなのに、一体いつどんでん返ししたのか憶えていないのと同じ現象に他なりません。
従って、
われわれ人間社会も、文明社会の黎明期の何処かで死は好くないものではないことを知っていたはずなのに、そのことを忘却してしまったのです。
爾来、
われわれは、いくら偉そうなことを言っても、本音のところでは、死を怖れるようになってしまったのです。
まさに、
生が実在で、死は生の不在概念とする間違った二元論対立観が、死の理解を阻害してしまったのです。
しかも最悪なことに、
間違った生死二元論をしていることを自覚せずに生きてきたのです。
まさに、
二重の錯覚の人生を送っているのです。
先ずは、
自覚することからはじめるしかないでしょう。
自分が一番の問題児であることを。
なぜなら、
“自分は・・・”という自我意識(Ego)が、悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖に苛まれる一生を送る羽目に陥らせた元凶なのですから。