第二章 忘却が死の誤解を生んだ

肉体は母親の胎内から、“オギャ”と生まれたときから存在しているのに、記憶はなぜその瞬間(とき)から無いのか、不思議で仕方ありませんでした。
更に言えば、
肉体は母親の子宮で受精したときから存在しているのに、記憶はなぜその瞬間(とき)から無いのか、不思議で仕方ありませんでした。
ところが、
記憶の感度を結晶化してゆくと、実は受精の瞬間(とき)から記憶があることがわかった。
そうでないと、意識と肉体がバラバラに存在していることになります。
まさに、
記憶とは、意識と肉体が合一した瞬間(とき)に生じる現象に他ならない。
そして、
記憶の現象とは、一枚一枚の静止画が積み重ねられた結果の動画面(映像)に他なりません。
そして以後、
動画面(映像)として肉体というスクリーンに投影され続けられてゆくのが記憶の現象の正体に他ならない。
従って、
静止画が意識。
白いスクリーンが肉体。
動画(映像)が記憶の現象。
まさに、
眠りの中で見ている夢は記憶の現象である証左に他なりません。
ただし、
夢はしょせん二次元平面映画に過ぎません。
なぜなら、
夢という動画(映像)を映し出している白いスクリーンは、網膜という二次元平面だからです。
ところが、
いわゆる現実という動画(映像)を映し出している白いスクリーンは、肉体全体という三次元立体です。
まさに、
眠りの中で見る夢と、起きている中で見るいわゆる現実との違いは、二次元平面と三次元立体の違いだけで、動画(映像)であることに違いはありません。
更に、
眠りの中で見る夢と、起きている中で見るいわゆる現実との違いは、一時的な死と、永久の死の違いであることに気づかなければならない。
そして、
眠りの中で見る夢は、夢が終了すると同時に、死の世界から生の世界に帰還するのに対して、起きている中で見るいわゆる現実が終了すると、永遠の死の世界に逝き、生の世界に帰還することはない。
まさに、
白いスクリーンという肉体が、依然そのまま残っている状態こそ、相転移現象に他なりません。
まさに、
映画が上映されている白いスクリーンこそ生きている肉体であり、映画が終了し動画(映像)が消え、白いスクリーンだけの状態こそ死んだ肉体に他なりません。
まさに、
水という液体の状態のHOが生きている状態であり、水蒸気という気体の状態のHOが死んだ状態だが、HOには変りないことがその証左に他ならない。
そうしますと、
死とは意識と肉体の消滅だとわれわれは思っているようですが、意識も肉体も状態の変化(相転移)だけで消滅などしないのに対して、動画(映像)という記憶だけが消滅することがわかってきます。
言い換えれば、
意識にも肉体にも死などなく、死ぬのは記憶だけであることがわかってきます。
従って、
死とは「記憶の消滅」に過ぎなかったのです。
まさに、
記憶の忘却(消滅)が、死の誤解を生んでいたのです。