第十八章 自分一元論→自他二元論→自他三元論

生死一元論が自分一元論。
生死二元論が自他二元論。
従って、
生死二元を超える生死三元論は、自他を超える自他三元論。
すなわち、
生死二元を超えるには、自他二元を超えなければならないわけです。
まさに、
死とは、“自分は・・・”という自我意識(Ego)の死に他ならないわけです。
言い換えれば、
死とは、“自分は・・・”という自我意識(Ego)の消滅に他ならないわけです。
詰まるところ、
死とは、消滅に過ぎません。
まさに、
われわれ人間の大人が怖れている死の正体は、消滅することに対する怖れに他ならなかったのです。
では、
消滅するとは一体どういう現象なのでしょうか。
まさに、
消滅するとは、落ちる現象に他ならないのです。
消滅=落下。
まさに、
清水の舞台から飛び降りる恐怖こそ、死の恐怖の正体に他ならなかったのです。
では、
なぜ消滅=落下なのでしょうか。
まさに、
“自分は・・・”という自我意識(Ego)の消滅こそが、“自分は・・・”という自我意識(Ego)の落下に他ならないからです。
なぜなら、
“自分は・・・”という自我意識(Ego)の最大の好物が、(卑小な)プライドだからです。
そして、
(卑小な)プライドを好物にする“自分は・・・”という自我意識(Ego)の目線は他人の誰よりも高いところにあります。
平たく言えば、
“自分は・・・”という自我意識(Ego)の特徴は、“自分は誰よりも上なんだ”という傲慢さにある。
そして、
“自分は誰よりも上なんだ”という傲慢な“Ego”が落下すると、自動的に“自分は・・・”という自我意識(Ego)が消滅する。
まさに、
“自分は・・・”という自我意識(Ego)の消滅こそが、“自分は・・・”という自我意識(Ego)の落下に他ならないのです。
まさに、
清水の舞台から飛び降りる勇気とは、“自分は・・・”という自我意識(Ego)の落下に他ならない。
まさに、
清水の舞台から飛び降りる勇気とは、“自分は・・・”という自我意識(Ego)の消滅に他ならない。
まさに、
清水の舞台から飛び降りる勇気とは、死ぬことに他ならない。
畢竟、
清水の舞台から飛び降りる勇気とは、生死を超える、自他を超えることに他ならないのです。