第十六章 二元論世界=死を知る世界

わたしたち人間は、未だ来ぬ未来の最期に死が待ち受けていることを知った瞬間(とき)に、自然社会(野生)の生きものや人間の子供が生きている生・死一元論世界(始点)から、生・死二元論世界の大人の世界に入った。
ところが、
二元論世界を超えるために人間の大人になるはずなのに、間違った二元論世界で迷っている大人になっている。
まさに、
円回帰運動による生死二元論の世界を生きるべきところ、振り子運動による生死二元論の世界を生きる間違いを冒したのである。
振り子運動か?
円回帰運動か?
では、
振り子運動と円回帰運動の決定的な違いは一体何なのか?
生死二元の振り子運動の両端である生と死は対立要因(二律背反要因)と捉える点にある。
一方、
生死二元の円回帰運動の始点と終点である誕生(生)と死は補完要因と捉える点にある。
その結果、
振り子運動による生死二元論の世界を生きると、生を追い求め、死を忌み嫌うようになり、死を怖れるようになる。
まさに、
生死二元論の間違った理解、すなわち、錯覚に他ならない。
一方、
円回帰運動による生死二元論の世界を生きると、死が実在で、生は死の不在概念に過ぎないことを理解し、生と死は本来補い合うものであることを知る。
まさに、
生死二元論の正しい理解、すなわち、生死を超えることに他ならない。
では、
間違った生死二元論と、正しい生死二元論の決定的な違いを検証してみよう。
間違った生死二元論では、生と死を対立要因と捉える、すなわち、生=死ではないと捉えるから、生を追い求め、死を忌み嫌い、死を怖れるようになるのです。
一方、
正しい生死二元論では、生と死を補完要因と捉える、すなわち、生=死と捉えるから、死を怖れなくなります。
更に、
生死二元論とは、生と死の区分けをすることであって、死を知ることに他なりません。
まさに、
われわれ人間の大人だけが、子供から大人に至る過程で、死を知るに至る証左に他なりません。
そうしますと、
間違った生死二元論では、死を知った結果、死を怖れるようになる。
一方、
正しい生死二元論では、死を知っても、死を恐れない。
まさに、
生きているなかで死を知っても、死を恐れないことを、生死を超えるというわけです。