第十二章 生死を超える

畢竟、
生の恩恵=死の恐怖が真理に他ならない。
まさに、
悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖は、生(生きる)における罪的側面だが、裏を返せば、死(死ぬ)における功的側面に他ならない。
畢竟、
死の恩恵=生の恐怖が逆真理に他ならない。
まさに、
悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖は、生(生きる)における罪的側面だが、裏を返せば、死(死ぬ)における功的側面に他ならない。
畢竟、
生の恩恵=死の恐怖=死の恩恵=生の恐怖なのである。
まさに、
二元を超える意味の本質がここある。
言い換えれば、
二元を超えるには、二元要因が二律背反しているのでは不可能なのである。
言い換えれば、
二元を超えるには、二元要因が補完し合っていなければならないのである。
言い換えれば、
一見対立しているようにみえる同士が実は同じでなければならないのである。
それに加えて、
実在するものと、その不在概念の正しい認識が不可欠である。
従って、
生の恩恵=死の恐怖=死の恩恵=生の恐怖なのである。
では、
この事実は一体何を示唆しているのでしょうか。
わたしたちは、生・死に拘わらず、恩恵を追い求め、恐怖を忌み嫌っているという事実(いわゆる現実)を示唆しているのです。
そして、
この事実(いわゆる現実)は間違っているのです。
従って、
生・死に拘わらず、恐怖が実在で、恩恵は恐怖の不在概念であるのが真理なのです。
そして、
この真理を理解できた瞬間(とき)、生・死を超えることができるのです。
なぜなら、
その瞬間(とき)、生・死に拘わらずの自分がそこにいるからです。