第四十章 今こそ悔い改める時

“死好ければ人生好し”
“死悪ければ人生悪し”
そして、
人生とは人が生きることに他なりません。
従って、
“死好ければ生好し”
“死悪ければ生悪し”
ということになります。
だから、
先ず、死の理解からはじめましょうと言っているわけです。
従って、
死の理解とは、
“死の恐怖”の考え方から“待ち望んだ死の喜び”の考え方に変わることに他なりません。
平たく言えば、
死は嫌な出来事ではなく、
死は好い出来事なのです。
更に、
我々人間だけは、自ら死ぬことが出来るのです。
なぜなら、
我々人間だけは、死を知ったからです。
まさに、
死を知ったことが知性の最大の恩恵だったのです。
ところが、
我々人間は何処かで道の選択を間違ってしまったらしい。
その結果、
最大の恩恵だったはずの死を知ったのに、死の理解が出来なくなってしまって現在に至っているのです。
従って、
間違った選択をした道の分岐点まで戻る必要があるのです。
まさに、
イエス・キリストが言った言葉の真の意味がここにあります。
“悔い改めよ、さすれば、神の王国はそこにある”
“Repent and you will find the kingdom of god”
そして、
“悔い改めよ(Repent)”は“立ち戻れよ(Return)”とラテン語では同じ語源であったのです。
“来た道に立ち戻れよ、さすれば、真理はそこにある”
まさに、
現代社会の我々人間は、
死の理解をするのを間違った道まで、立ち戻ることが今求められているのです。