第十八章 新しい『過去・現在・未来』の概念の誕生

過去とは円回帰運動の始点に他ならない。
現在とは円回帰運動の円周に他ならない。
未来とは円回帰運動の終点に他ならない。
そして、
『今、ここ』こそが、円回帰運動(始点→円周→終点)を描いている(映像に映している)点に他ならない。
まさに、
『今、ここ』しか実在しない所以です。
まさに、
映画館で鑑賞する映画のメカニズムが見事に説明している。
我々は映画館の観客席で白いスクリーンに映った映画(動画)を観ている。
観客席で映画を観ている自分と、白いスクリーンに映った映画(動画)は別世界であることは言うまでもないが、恰も映画(動画)に自分も存在しているかのように感情移入し一喜一憂している。
まさに、
夢の中でも自分は鑑賞しているだけなのに、夢の中の映画(動画)に自分も出演しているかのように思っているのと同じである。
まさに、
その状態が、夢なのに夢と思わず現実と思う「いわゆる現実」だ。
ところが、
映画(動画)は単なる幻想であって、実体があるのは、映写室の映写機で回っている(運動している)映写フィルムだけで、映写フィルムがなければ映画(動画)は映りようがない。
更に、
映写フィルムは動画ではなく一枚一枚の静止画で構成され、一枚一枚の静止画はスナップ写真に他ならない。
まさに、
この一枚一枚のスナップ写真こそが、『今、ここ』という点を生きることに他ならない。
そして、
現在という円周は『今、ここ』という点の積み重ねた映写フィルムに他ならないから、スナップ写真を取り直したら、映写フィルムを変えることが可能になる。
まさに、
撮影現場(ロケ地)に戻ってスナップ写真を取り直したら、現在という映写フィルムを変えることが可能になる。
変えることが不可能なのは、始点という過ぎ去った過去と、終点という未だ来ぬ未来だけで、現在である円周は変更可能である。
まさに、
新しい『過去』の概念の誕生である。
新しい『現在』の概念の誕生である。
新しい『未来』の概念の誕生である。