第十六章 新しい『過去』の概念の誕生

過去とは円回帰運動の始点に他ならない。
ところが、
我々は、
過去は直前の過去から遥か彼方の過去まで拡がっていると思っていた。
一方、
現在とは円回帰運動の円周に他ならない。
ところが、
我々は、
現在は今この瞬間、すなわち、『今、ここ』と思っていた。
この違いは一体何を意味しているのでしょうか?
取り戻すことができない過ぎ去った過去とは、自分の肉体が誕生したその時点での『今、ここ』という点だけで、誕生時点(始点)以降のことは、過ぎ去った過去ではなく、現在(円周)の一部であるから、取り戻すことは決して不可能なことではないことを意味しているのです。
ただし、
現在(円周)は『今、ここ』という点の連続体の映像ですから、それぞれの時点での『今、ここ』という点を生きなければなりません。
まさに、
映画館で鑑賞する映画のメカニズムが見事に説明しています。
我々は映画館の観客席で白いスクリーンに映った映画(動画)を観ています。(見るだけではなく、聞いてもいるので、観ているとしています)
観客席で映画を観ている自分と、白いスクリーンに映った映画(動画)は別世界であることは言うまでもありませんが、恰も映画(動画)に自分も存在しているかのように感情移入し一喜一憂しています。
まさに、
夢の中でも自分は鑑賞しているだけなのに、夢の中の映画(動画)に自分も出演しているかのように思っているのと同じです。
まさに、
その状態が、夢なのに夢と思わず現実と思う「いわゆる現実」なのです。
ところが、
映画(動画)は単なる幻想(見るだけなら映像だが、聞くこともしているから幻想としています)であって、実体があるのは、映写室の映写機で回っている(運動している)映写フィルムだけで、映写フィルムがなければ映画(動画)は映りようがありません。
更に、
映写フィルムは動画ではなく一枚一枚の静止画で構成され、一枚一枚の静止画はスナップ写真に他なりません。
まさに、
この一枚一枚のスナップ写真こそが、『今、ここ』という点を生きることに他なりません。
そして、
現在という円周は『今、ここ』という点の積み重ねた映写フィルムに他ならないから、スナップ写真を取り直したら、映写フィルムを変えることが可能になるのです。
まさに、
撮影現場(ロケ地)に戻ってスナップ写真を取り直したら、現在という映写フィルムを変えることが可能になるのです。
変えることが不可能なのは、始点という過ぎ去った過去だけで、現在である円周は変更可能なのです。
まさに、
新しい『過去』の概念が誕生です。