天狗の梯子

第一部(六百年の魂の叫び)   第二部(目覚めた前世)   第三部(幻想の現実)


はじめに

室町幕府三代将軍、足利義満は日本歴史のタブーの英雄である。
その理由は、日本という国において、神聖にして侵すべからざる存在である天皇の地位を奪おうとした男だったからだ。
平将門も、天皇の地位を奪おうとした男だ。
しかし、将門と義満では、天皇家に対する陵辱において天と地との差がある。
平将門の大河ドラマは製作された。
しかし、足利義満のドラマは決して製作されない。
江戸時代には、聖徳太子は現在のような聖人として評価されていなかった。
それが尾を引いたのか、つい最近まで聖徳太子のドラマも決して製作されなかった。それが数年前に製作された。
では、足利義満のドラマもいよいよ解禁してもいいのではないか。
日本の真実の歴史を知る上においても、また天皇家と我々日本国民との相互理解をより深めて行く上においても、足利義満と天皇家の間にあった確執を、しっかりと知っておく必要がある。
また1970年に、三島由紀夫は自衛隊市川駐屯所に侵入して、自害した。
彼が書いた、「金閣寺」は、足利義満が建立したものだ。
何故、三島由紀夫はあのような行動に出たのか。
単なる暴挙と一言で片付けるわけにはいかない。
足利義満が三代将軍になったのは11歳の時で、幼名春王と言った。
三島由紀夫の「金閣寺」の最後は、放火した犯人が高台から、金閣寺が燃えあがる場面で終わっている。
何の因縁もないふたりの人間を、600年の時を超えて遭遇させてみたいという衝動に駆られ、著者の想像力を働かして、Part1とPart2に分けて書き出してみたいと思います。

平成15年5月25日   新 田  論


第一部(六百年の魂の叫び)

第一章(Part 1) 天狗の父・逝去 第二十一章(Part 1) 陰陽師・有世
第一章(Part 2) 金閣燃える 第二十一章(Part 2) 深草北陵
第二章(Part 1) 応安の変 第二十二章(Part 1) 政事と閨事
第二章(Part 2) 母の自殺 第二十二章(Part 2) 哀れ御骨堂
第三章(Part 1) 官職叙任権・改元権 第二十三章(Part 1) 明の朱元璋
第三章(Part 2) 燃える剣 第二十三章(Part 2) 名門旅館
第四章(Part 1) 狂気の支配者 第二十四章(Part 1) 上皇の反撃
第四章(Part 2) 美意識という狂気 第二十四章(Part 2) 義満と信長
第五章(Part 1) 復習の鬼 第二十五章(Part 1) ままならぬ女御
第五章(Part 2) 発狂 第二十五章(Part 2) 糺の森
第六章(Part 1) 怨敵崩御 第二十六章(Part 1) 束の間の栄華
第六章(Part 2) 追憶 第二十六章(Part 2) 下鴨神社の謎
第七章(Part 1) 大嘗祭の夜の閨事 第二十七章(Part 1) 謀略
第七章(Part 2) 母親との近親相姦 第二十七章(Part 2) 地中で繋がる池
第八章(Part 1) 復讐のはじまり 第二十八章(Part 1) 厳子出産
第八章(Part 2) 美との邂逅 第二十八章(Part 2) 三柱の鳥居
第九章(Part 1) 土豪の乱 第二十九章(Part 1) 峰打ち事件
第九章(Part 2) 東大入学 第二十九章(Part 2) 信長に再会
第十章(Part 1) 奉行人・奉公衆の威力 第三十章(Part 1) 「仰せ」の止(とど)め
第十章(Part 2) 輿(こし)の意味 第三十章(Part 2) 信長の前世
第十一章(Part 1) 情報の価値 第三十一章  妖刀・村正
第十一章(Part 2) 金閣寺見参 第三十二章  義満の生まれ変わり
第十二章(Part 1) 管領頼之失脚 第三十三章  Contemporary Ghost(断ち切れぬ因縁)
第十二章(Part 2) 心を奪われる 第三十四章  大谷大学転入
第十三章(Part 1) 花の御所 第三十五章  母親ハナの前世
第十三章(Part 2) 雲西和尚との出会い 第三十六章  2年ぶりと555年ぶり
第十四章(Part 1) 女人総なめ 第三十七章  橿原公威
第十四章(Part 2) 告白 第三十八章  緒仁・春王同居
第十五章(Part 1) 上皇乱心 第三十九章  仙洞御所での再会
第十五章(Part 2) 懺悔 第四十章  永遠の別れ
第十六章(Part 1) 按察局(あぜちのつぼね)出家 第四十一章  再び金閣寺へ
第十六章(Part 2) 帰京 第四十二章  修行僧・雲円融
第十七章(Part 1) 治天の君 第四十三章  禅の奥義
第十七章(Part 2) 歴史の裏表 第四十四章  ふたりの道有
第十八章(Part 1) 院政の目的 第四十五章  金閣寺VS南禅寺
第十八章(Part 2) 再び京都へ 第四十六章  多重・輪廻転生
第十九章(Part 1) 北山第(きたやまだい) 第四十七章  雲西和尚の前世
第十九章(Part 2) 夜行列車の思い出 第四十八章  貞子の転生
第二十章(Part 1) 二品尼貞子 第四十九章  雲西と鹿覚
第二十章(Part 2) 古都の光と影 第五十章  前世の意識


プロローグ

貞治(じょうじ)五年(1366年)、春王(しゅんおう)は後光巌(ごこうごん)天皇より義満(よしみつ)の名を賜った。
翌年貞治六年、室町幕府二代将軍足利義詮(よしあきら)が死に、その時、十一歳であった義満は、実権を握っていた管領細川頼之の下、翌年の応安(おうあん)元年に元服し三代征夷大将軍に就任した。春王と呼ばれていた頃から、義満は天狗とあだ名されていた。
天狗がその後、限りなき梯子を上ってゆく物語が、そこから始まる。
帝(天皇)の輿(こし)である八瀬童子(やせのどうじと言い、霊柩用の御輿)を勝手に使い比叡山に参詣した天狗は、この輿を梯子にして聖域なる天に登ってゆくことになる。
金箔に輝く三重の塔の上から、大内裏(だいだいり)を見下ろす天狗は、この世の春を花の御所で謳歌した。
その北山第(きたやまだい)の中心の金閣寺が、昭和二十五年、大谷大学生平岡雄仁(おひと)によって焼きつくされた。
燃え尽きる金閣寺を高台から至福の快感で眺めていた雄仁の手には、后・三条厳子(さんじょうげんし)を折檻した帝・後円融(ごえんゆう)の刀が薄気味悪く輝いていた。

第一部 おわりに当たって

天皇になろうとした将軍・足利義満を語ることはこれまでタブーとされていました。
王朝をつくった初代皇帝や天子の出自は一切問われないのが世界の歴史の常識でありますが、この日本という国だけは、天子は絶対に天皇家以外にはなれない不文律が、天孫である天照大神の古代から現代に至るまで連綿と続いております。
是非の論議は別として、世界でも稀なる国家であることは確かです。
しかし、世界の様相は、特に二十世紀の科学の飛躍的発展によって、ドラマティックに変貌しました。
人工人間が二十一世紀中には造られ、どんな素晴らしい脳でも簡単に蘇生できるようになる時代に、今や我々人間は突入しようとしているのです。
そのような中で、単なる神話や伝説だけを迷信し、公式に認められた「記紀」以外の日本の史実を正しく伝えず、間違った日本人観をこれ以上植えつけることは、現代日本人にとって決して好ましいことではないとわたしは思うのであります。
今こそ、本当の日本人観を老若男女すべての日本人に再認識してもらわなければなりません。
このままでは、まったく国家意識を喪失した国民になってしまい、国家そのものを喪失してしまうことになりかねません。
グローバリゼーションという言葉が今や流行語になっていますが、世界の民族
の数を遥かに上回る言語の数を考えますと、グローバリゼーションなど有り得ないと思います。
言葉の違いは、考えの違いを生みます。
中国やインドのような人口の多い国では、言語の数は百種類近くあると言われています。
日本においても関西弁と関東弁(今では関東弁が標準語になっておりますが)ではまったく違い、考え方も全然違うのです。
人間同士の諍いや喧嘩というものの原因はすべて意見の食い違いから起きるものです。
意見の食い違いは、言葉の違いが最大の原因なのです。
そういたしますと、結局は、自分たちの国が如何なる生い立ちの国であるのかを充分認識しておくことが、国家意識を持つことになり、国家を喪失する惨劇を避けることが出来るのです。
国家を喪失した民族の歴史を振り返ってみれば、如何に彼らが悲惨な歴史を背負って生きて来たかがわかります。
国家を喪失することが、どんな悲劇的なものかは、経験したものしか解りません。
その為には、如何にタブー的なことであっても、事実であるなら直視すべきであります。
ある評論家先生が主張しました。
「南京大虐殺は三十万人を超えたと喧伝されているが、そんな事実はどこにもない。これは中国政府と、日本の知識層の連中のでっち上げだ。そんな大きな数の人間が、当時の南京にはいなかった」
それに対して、ある親日台湾系中国人の方が、この評論家の意見に対して反論されました。
「あんな写真のような人間串刺しをされたら、また残忍な生体解剖をされたら、された遺族の想いは、数の問題ではなくなる」
現に、日本軍隊はあっちこっちで生体解剖をしていたのであります。
広島や長崎の被爆民の方々や遺族の方々に、アメリカの事情も理解するべきだと、あなたは言えるでしょうか。
人間の歴史の悲劇を考えますと、この国はやはり異常だと言わざるを得ません。
この異常性を認識し、是正するためには、やはり異常な史実を国民一人一人が自ら知ることであります。
天皇制という不可侵の掟を破ろうとした男が、一体何を思い、何を考えていたのかを知るために敢えて赤裸々に表現しました。
足利義満は女狂いの末、今でいう腹上死したと言われています。
果たして真実なのか、今となっては誰もわかりません。
しかし、彼が何を思い、何を考え、何をしたのか、を検証すればおのずから答えは出てくると思います。
タブーの男、足利義満にスポットライトを当てるべき時代が到来したことを、世間に知らしめることが出来たなら、この作品の意図は果たされたと言っていいでしょう。
第二部では、現世に生まれ変わった彼らの魂が、六百年前の出来事に目覚めていく中で、どのような想いを展開していくかを、「目覚めた前世」というタイトルで描いてみたいと考えています。

平成十四年五月十八日(バーゼルにて) 新 田  論