第七章 「万世一系」のヒビ

伊勢神宮を本宮とする天皇家にも仏教の菩提所があります。
京都伏見にある泉涌寺が天皇家の菩提所であり、通称「御寺(みでら)」と呼ばれています。
天皇家の菩提所である泉涌寺には、歴代天皇の位牌が安置されているのですが、天武天皇系、つまり、平城京(奈良)時代の天皇の位牌だけが欠けているのです。
何故でしょうか。
万世一系を誇る天皇家にも、いくつかの王朝があった。
その一つが天武王朝であった。
初代神武王朝。
第10代崇神王朝。
第15代応神王朝。
第26代継体王朝。
第29代欽明王朝。
第30代敏達王朝。
第38代天智王朝。
第40代天武王朝。
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第122代明治天皇王朝。
聖徳太子は欽明王朝の流れを汲んだ人物で、継体王朝が欽明王朝と敏達王朝に分かれた。
蘇我稲目には、姉の蘇我小姉君(おあねぎみ)と妹の蘇我堅塩媛(かたしおひめ)という二人の女(むすめ)がいた。
継体王朝が蘇我堅塩媛(かたしおひめ)系に引き継がれたのが欽明王朝であり、蘇我小姉君(おあねぎみ)系に引き継がれたのが敏達王朝であります。
聖徳太子の父・第31代用命天皇は蘇我堅塩媛を后にした欽明王朝系の天皇でしたが、即位した翌年に急死します。
そして、物部と蘇我の戦がこの時から激しくなったのです。
その鍵を握るのが「穴穂部」であります。
前章で、穴穂は阿波であり、物部守屋の通称でもあると申しました。
「穴穂」の元祖は、先に述べた第20代安康天皇であります。
第16代仁徳天皇の孫である安康天皇の諱(いみな)、つまり、幼名は「穴穂(あなほ)」であり、物部氏の本拠地である石上(いそのかみ)に「穴穂宮」という都を置き、「穴穂天皇」とも呼ばれ、更に、物部大前という忠臣がいたと日本書紀は伝えています。
つまり、安康天皇は物部氏系であるわけです。
一方、安康天皇の祖父である第16代仁徳天皇は、応神天皇の子であり、武内宿禰の孫でありますから、蘇我氏系であります。
ここでも「万世一系」にヒビが入っている。
そのヒビの張本人が「穴穂」にあるのです。