第五十六章 現代社会こそ必要な聖徳太子

現代日本社会は頽廃しきっています。
その最たるものが、役人の堕落でしょう。
その次に聖職の荒廃です。
政治家、司法者、宗教者、教育者、医者・・・といった聖職者たちが、挙って金儲けに走っている始末です。
聖徳太子の十七条憲法の根幹は、役人の堕落防止にあることは前に申し上げました。
冠位十二階も、聖職者の荒廃を防ぐ方策であったから、徳・仁・礼・信・義・智という聖職者の資質を説いたわけです。
そうすれば、民は落ち着いた生活を送ることができると聖徳太子は言っているのです。
現代社会は民が落ち着きを失っている状況まで疲弊しています。
聖職者が金儲けに走る危険性は十分にあります。
何故なら、世の中の為になることをしているからです。
癌を直す治療法を見出したら、どれだけの人が助かるか。
政治家が世界の平和の為に尽くしたら、どれだけの人が助かるか。
宗教者が心の平安を与えたら、どれだけの人が助かるか。
それだけの価値のある職業だから、聖職者と言われるのです。
そんな彼らが金儲けに走っている間はまだましです。
問題は、実際世の中の為になっていないのに、金儲けに走れる職業です。
現代社会、特に、アメリカや日本では、映画スター、芸能人、プロスポーツ選手が法外な収入を得る時代なのです。
彼らのやっていることは、人間が生きる上で何も役に立ちません。
野球選手がいいプレーをしても、国民に何のプラスにもなりません。
どうってことないのです。
映画スターがいい演技をしても、国民に何のプラスにもなりません。
どうってことないのです。
国民にゆとりがあるからで、ゆとりがなくなれば、彼らは必ずご用済みの憂目に遭います。
マスコミやバックにいる連中が、金儲けの道具に利用しているだけです。
結局、
彼らも、国民も、利用されているだけです。
聖職者のような世の中の役に立つような事柄で、ボロ儲けは出来ないのです。
世の中の役に立たないような事柄が、ボロ儲けになるからです。
そんな社会から脱却するには、聖職者の復活が不可欠なのです。
聖徳太子は、そのことを1400年前に理解していたのです。