第五十三章 聖徳太子は暗殺された

江戸時代までの聖徳太子は酷評されていました。
明治時代になって、北朝方である筈の天皇家が、南朝方の武将・楠木正成の銅像を皇居前に建立した。
昭和時代になって、聖徳太子の紙幣が登場し、聖人としての聖徳太子のイメージが確立されていきます。
平成時代になって、聖徳太子の紙幣が消えていきましたが、同時に、それまで
タブー化されていた聖徳太子の伝説物語が登場し始めます。
万世一系の天皇家の筈ですが、日本の近代化が起こった明治以降においても、万世一系に疑問を呈する出来事が度々あったのではないでしょうか。
歴史の真実は、表の歴史にはなく、裏の歴史にあるようです。
歴代天皇の諡(おくりな)を検証してみますと、「・徳天皇」といった「徳」のついた諡(おくりな)の天皇が多く見られます。
第四代懿徳天皇、第十六代仁徳天皇、第三十六代孝徳天皇、第四十八代称徳天皇、第五十五代文徳天皇、第七十五代崇徳天皇、第八十一代安徳天皇、第八十四代順徳天皇と8人の天皇が「・徳天皇」といった「徳」のついた諡(おくりな)の天皇ですが、悉く、非業の死を遂げた天皇でもあります。
そして、天皇にはならなかった聖徳太子ですが、この聖徳太子という名前も諡号であり、生前の聖徳太子の名前は、厩戸皇子(うまやどのみこ)と呼ばれていたことは、既にお話しました。
つまり、聖徳太子も非業の死を遂げた人物であったわけです。
表の歴史、つまり、「日本書紀」では、聖徳太子は疫病に掛かって死没したことになっていますが、前後して、母君である穴穂部間人皇女も疫病で死没し、聖徳太子と后とが共に亡くなるという異常な状態であったことも、既にお話しました。
聖徳太子は間違いなく暗殺されたのでしょう。
非業の死を遂げられた聖徳太子が何故いま注目を浴びるのでしょうか。