第五十一章 楠木正成の銅像

現在の天皇家は北朝系であるとも言われています。
1336年(延元元年・建武3年)後醍醐天皇が大和国吉野に入ってより、1392年(元中9年・明徳3年)後亀山天皇が京都に帰るまでの57年間、南朝(大覚寺派)と北朝(持明院派)とが対立抗争したのが南北朝時代です。
後醍醐天皇に与して南朝方についた武将が楠木正成で、北朝方を擁して京都に室町幕府を開いた足利尊氏と戦って戦死した。
明治時代以降、天皇御所は京都から東京の皇居に移されました。
東京の皇居の祝田橋前に楠木正成の銅像が今でも立っています。
北朝系の現在の天皇家が遷都した皇居に、南朝方の武将の銅像が立っているのは、なんとも理解に苦しみます。
南朝を開いた後醍醐天皇は天智天皇系の直系であり、北朝方も天智天皇系ではあるが傍系です。
ところが、南北朝時代を終らせるべく、「明徳和約」を結ばせた室町幕府三代将軍・足利義満は、交互に天皇を選ぶとした和約を反故にして、以降、北朝方の天皇で独占させたのです。
現在の天皇家が北朝方と言われる所以がここにあります。
ところが、皇居に南朝方の楠木正成の銅像が立っている。
これは一体どういうことなのでしょうか。
明治維新以降にも、天皇家の系列に異変が起きていたのではないのかという疑問の根拠がここにあります。