第四十三章 個人の見識

イエス・キリストを十字架に架けたのは、イエスの同朋ヘブライ人であり、ローマ人は寧ろ、イエス・キリストを庇護していました。
イエルサレムを統治するため、ローマ帝国から派遣されたピラトという総督は、わざわざ、ローマ皇帝にイエス恩赦の要請をして許可を得ていたほどです。
ところが、イエスを裁判にかける要請をピラトにしていた同朋ヘブライ人のユダヤ教祭司(パリサイ人律法学者と呼ばれていた)たちは、イエスに対する恩赦を拒否して、敢えて十字架に架けたのです。
ピラト総督は、自分の手を水で洗いながら、パリサイ人律法学者たちに啖呵を切ります。
“わたしの手はこの人(イエス)の血で汚されていないぞ!”
“お前たち、そして、お前たちの子孫にまで、この人(イエス)の血で汚されることになるんだ!”
ピラト総督の言葉を受けて、パリサイ人律法学者たちも啖呵を切ります。
“この男(イエス)の血を、われわれの子々孫々にまで受け止めよう!”
キリスト教をローマ帝国の国教にまでしたパウロという人物は、実は、パリサイ人律法学者たちの一人であったのです。
イエス・キリストの教えと、キリスト教の教えとが、まるで正反対になっていくわけです。
イエス・キリストの教えを、そのまま、後世の人たちに伝えていけば、同朋ヘブライ人は、“同朋イエスを裏切った連中”という烙印を永久に押される。
それを避けるために、パウロは敢えてキリスト教という名にしたのです。
65億いる人間の中で、24億の信者を有するキリスト教。
十字架に架けられたイエスの像を教会の祭壇に掲げているキリスト教。
キリスト教を信心する24億の現代人は、一体何を信じているのでしょうか。
聖徳太子の子孫は法隆寺で皆殺しに遭います。
聖徳太子自身も毒殺されたらしい。
大阪八尾にある太子堂の屏風には、聖徳太子が毒殺された絵が描かれています。
ところが、その後、聖徳太子は日本の聖人として持ち上げられます。
歴史の真実を読み取ることは、個人の見識に委ねられている所以であります。