第四十二章 同朋の陰謀

聖徳太子の実像に迫るためには、先ずイエス・キリストの実像に迫らなければなりません。
キリスト教の元祖イエス・キリストは古代ローマ帝国によって殺された筈なのに、何故そんな人物の教えを古代ローマ帝国の国教にしたのでしょうか。
イエス・キリストの教えを隠すためにキリスト教を興した。
これが真相であります。
古代ローマ帝国の国教になったキリスト教とは、ローマ・バチカンのことであります。
バチカン大聖堂の名前はサン・ピエトロ寺院と言います。
聖ペテロ寺院ということで、イエス・キリストの十二使徒の一人ペテロの名に因んだものです。
キリスト教が当時の世界大帝国であった古代ローマ帝国の国教にまでなり得た最大の功績者はパウロという人で、この人物はイエス・キリストの十二使徒ではなく、イエス・キリストが十字架に架けられた後、アンティオキア教団という団体をつくって、イエス・キリストの教えを広めた人なのです。
アンティオキアというのは、現在のシリア(当時は古代ローマ帝国領内)にある町で、パウロはローマ人、ゲルマン人といったヘブライ人以外の者でも入会できる教団をつくった結果、大教団になっていき、やがて、古代ローマ帝国の国教になっていくわけです。
一方、イエス・キリストの十二使徒の一人ペテロは、イエス・キリストが十字架に架けられたイェルサレムで教えを広めていき、パウロのアンティオキア教団に対して、ペテロのイェルサレム教団と呼ばれています。
ペテロのイェルサレム教団は、ヘブライ人以外は入会できない、極めて閉鎖的な教団だったので、その後、古代ローマ帝国によって滅ぼされたイェルサレムから離散(ディアスポラ)していったヘブライ人を追って東へ東へと移っていきます。
その最終到着地が聖徳太子の時代の日本だったのです。
ここでおかしなことが起こります。
パウロのアンティオキア教団が前身であるローマ・バチカンなのに、サン・ピエトロ寺院(聖ペテロ寺院)とは、一体どういうことなのでしょうか。
ここに、イエス・キリストを十字架に架けた同朋ヘブライ人の陰謀が隠されているのです。