第三十三章 支配・被支配構造の人間社会

十七条憲法の後半は、まさに、役人の在り方について言及しています。
“故に初章に曰く、上下和諧せよと。其れまた是の情なるか”
“この憲法の第一条に「上下和諧せよ」と言ったのはこのことである”
第一条の“和を以って貴(たつと)しとなす”とは、協調性のことではなく、人間社会だけにある「支配・被支配二層構造の社会」を戒めているのです。

「十三に曰く
 諸(もろもろ)の官に任ずる者は、同じく職掌を知れ。或いは病し、或いは使して、事に闕(か)くることあり。しかれども、知ることを得る日には、和すること嘗(かつ)てより識(し)れるが如くせよ。其れ与(あずか)り聞くこと非(な)しというを以って、公務を妨ぐること勿(なか)れ」

(現代解釈)
諸役人は、同僚の仕事をもよく知りなさい。誰でも病気をしたり、使いに出されたりして、仕事の出来ないことがある。このような場合、同僚は頼まれたら、気持ちよく、前からの知り合いと同じように、手を貸さねばならない。自分は関係がないと言って、公務に支障をきたしてはならない。

「十四に曰く 
 群臣百僚、嫉妬あることなかれ。われ既に人を嫉まば、人また我を嫉まむ。嫉妬の患、その極みを知らず。所以に智、己に勝れば、則ち悦ばず、才、己に優れば、則ち嫉妬す。是を以って、五百歳の後、乃(すなわ)ち賢に遭わしむとも、千載にして以って、一聖を待つこと難し。其れ聖賢を得ざれば、何を以ってか国を治めむ」

(現代解釈)
役人というものは、人を嫉み妬む心があってはならない。自分が人を妬むと、人もまた我を妬むであろう。かような嫉妬心の弊害は、実にきりのないものであって、頭が自分より良ければ、おもしろくなく、才能が自分に優っていれば、また妬む。賢人は五百歳に一人ということもあり、聖人は千年にして一人をも得がたいということもある。しかしその優れた人物を得なければ、国を治めることはできない。

「十五に曰く
 私に背きて公に向かうは、是れ臣の道なり。凡(およ)そ人、私あれば必ず恨みあり。憾(うらみ)あれば、必ず同じうせず。同じうせざれば、則ち私を以って公を妨ぐ。憾(うらみ)起これば、則ち制に違い、法を害(そこな)う。故に初章に曰く、上下和諧せよと。其れまた是の情なるか」

(現代解釈)
私事を去り、公につくことが、臣たる道である。人間というものは、私心私欲があれば、必ず不満・恨みがある。人のこれがあると、和することができない。和することができないと、私心を以って公事を妨げる。そして法をやぶり制にそむくようなこととなる。この憲法の第一条に「上下和諧せよ」と言ったのはこのことである。