第三十一章 宇宙観の第十条

聖徳太子の十七条憲法は最早ただの憲法ではないことが、その第十条で以って証明されます。
大袈裟に言えば、宇宙の真理をも語っています。
“相ともに賢愚なること、鐶(かん)の端なきが如し”
“互いに賢愚といっても、円い輪に両端がないのと同じで、要するにお互いさまである”
仏教の教えである「縁起説(因果律)」、つまり、「原因と結果の法則」が宇宙の法則に則していないことを見破っておられる。
「原因と結果の法則」では、
“始まりがあるから終わりがある”
若しくは、
“始まりがないから終わりがない”
「必然説」と言ってもいいでしょう。
この世(宇宙)の出来事はすべて必然以外のなにものでもない。
これは、宇宙の法則には則していないのです。
聖徳太子の第十条は言います。
“鐶(かん)の端なきが如し”、“円い輪に両端がないのと同じ”
つまり、宇宙はすべて円運動をしているから、
“始まりがあるから終わりがない”
若しくは、
“始まりがないから終わりがある”
「偶然説」と言ってもいいでしょう。
この世(宇宙)の出来事はすべて偶然以外のなにものでもない。
これが、宇宙の法則に則しているのです。
我々人間だけが持っている「死の概念」に基づく「死生観」まで考え直させてくれます。
小さな島国で生まれ育った人間の発想とは到底思えません。

「十に曰く
 忿(ふん)を絶ち、瞋(しん)を棄てて、人の違うを怒らざれ。人みな心あり、心おのおの執ることあり。彼、是なれば、則ち我、非なり。我、是なれば、則ち彼、非なり。我必ずしも聖にあらず、彼必ずしも愚にあらず。共にこれ凡夫のみ。是非の理、誰か能く定むべけむや。相ともに賢愚なること、鐶(かん)の端なきが如し。是を以って、彼の人瞋(いか)るといえども、還ってわが失を恐れよ。われ独り得たりといえども、衆に従って同じく挙(おこな)え」

(現代解釈)
心の中の怒りを棄てるようにせよ。人が自分と違うからといって怒ってはならない。
人それぞれ心がある。それぞれ意見を持っている。彼が正しいなら、こちらが間違っているのである。彼が間違っておれば、こちらが正しいのである。こちらが絶対、賢とはかぎらず、人が必ず愚とはかぎらない。共に凡夫に過ぎない。是非善悪は容易に定められるものではない。互いに賢愚といっても、円い輪に両端がないのと同じで、要するにお互いさまである。こういう次第だから、人が怒った時もよく自分を反省し、また自分ひとりこれでよいと思っても、異を立てずに、たいていのことは衆に従って同じようにやるがよい。