第二十九章 普遍的な十七条憲法

「勧善懲悪」、つまり、“悪を懲らしめ、善を勧める”という言葉は実は聖徳太子の十七条憲法第六条が語源であります。
日本の時代劇ドラマは必ず「勧善懲悪」で締め括ります。
元禄時代に起こった忠臣蔵劇が「勧善懲悪」の典型であり、武士が支配者であった武家時代は特に「勧善懲悪」が道徳(当時は修身と言っていた)の基本理念でした。
この伝統は、聖徳太子の十七条憲法から始まっているわけです。
明治維新によって武家支配の時代が終わることで、明治憲法が誕生するのですが、それまで千年を超えて日本の憲法として君臨し続けたのが、聖徳太子の十七条憲法であったのです。
因みに諸外国の憲法改正の歴史を検証しますと、聖徳太子の十七条憲法が如何に普遍的なものであったかが証明されます。
憲法改正回数
       (制定年) (改正回数)
アメリカ    1787年    18回
フランス    1958年    16回
ドイツ     1949年    51回
イタリア    1947年    14回
オーストラリア 1900年     3回
中華人民共和国 1982年     3回
大韓民国    1948年     9回

「五に曰く
 餮(てつ)を絶ち、欲を捨てて、明らかに訴訟を弁ぜよ。其れ百姓の訴えは、一日に千事あり。一日すら尚(なお)爾(しか)るを、況(いわん)や累歳をや。頃(このご)ろ、訴えを治むるもの、利を得るを常となし、賄を見て讒(げん)を聴く。すなわち財ある者の訟は、石を水に投ぐるが如く、乏しき者の訟は、水を石に投ぐるに似たり。是を以って、貧民は則ち由るところを知らず、臣道も亦、焉(ここ)に於て闕(か)く。」

(現代解釈)
餮(てつ)とは貪り食らうことであり、裁判官は事に当たり、貪り食らう心を捨てて、公明正大に人民の訴訟を裁かねばならない。人民の訴えというものは、日々たくさんあるから、年月を重ねると、多くの事件が堆積する。
このごろの裁判官は、私利をはかることを常とし、賄賂の多少によって、裁判を手加減している。財産のある者の訴えは、ただちに有利に判決をしてやり、貧しい者の訴えは、一向手ごたえがない。それでは貧乏人たちは頼るところがなくて、結局臣たる者の道も立たぬことになる。

「六に曰く
 悪を懲らし善を勧むるは、古(いにしえ)の良典なり。是を以って、人の善を匿(かく)すことなく、悪を見ては、必ず匡(ただ)せ。其れ諂(へつら)い詐(いつわ)るものは、則ち国家を覆すの利器たり。人民を絶つの鋒剣たり。また佞媚(ねいび)する者は、上に対しては、則ち好みて下の過ちを説き、下に逢いては、則ち上の失を誹謗す。其れかくの如き人は、みな君に忠なく、民に仁なし。是れ大乱の本なり」


(現代解釈)
悪を懲らしめ、善を勧める。すなわち勧善懲悪は、古来からの良い法則である。役人は人の良い行いを匿(かく)すことなく、悪を見つけたら、これを必ず糾明して、再び悪をさせないようにしなければならない。おべっかを使い、偽りを言うようなことは国家を覆すもので、人民を不幸な目に遭わせることになる。媚びへつらう者は、上に向かっては下の者の悪口を言い、下に向かっては、上の悪口を言うものである。こういう人間は、君に忠節の心がなく、また人民に対して仁愛の心を持たない者で、国家大乱のもとである。

「七に曰く
 人、各々任あり。掌(つかさど)ること宜しく濫(みだ)れざるべし。其れ賢哲 官に任ずれば頌(しょう)音則ち起こり、奸者官を有(も)つときは、禍乱則ち繁し。世に生知(苦労せず自然に頭がきくこと)少(まれ)なれども、尅(よく)念(おも)えば聖と作(な)る。事 大小となく、人を得れば、必ず治まり、時 急緩となく、賢に遭えば、自ら寛なり。此に因りて、国家永く久しくして、社稷(しゃしょく)危うきこと勿(な)し。故に古(いにしえ)の聖王は、官の為にして以って人を求め、人のために官を求めたまわざりき」


(現代解釈)
官吏というものには、それぞれの任務がある。これをみだすようなことをしてはならない。賢明な人が官に任ずれば、人民から礼賛が起こるし、反対に、奸邪な者が役職につけば、いろいろな禍や乱を生じる。世に生知(自然によくできる)の人は少ないが、よく考えて、立派にならねばならない。また事も大小となく、適所に適材を得たならば、必ず治まるものであり、また世の中が無事の時でも、非常の時でも、賢人が政治の衝に当たったならば、おだやかに治まる。これによって国家は永続し、世の中は安泰である。そうであるから、古の聖王は、官のために人材を求められたのであって、決して人のために官を求めはしなかったのである。