第二十七章 悪意の日本歴史

聖徳太子の十七条憲法で、特に有名なのは第三条までであり、第一条、「和を以って貴(たっと)しとなす」、第二条、「仏・法・僧の三宝を篤く敬え」、第三条、「詔(みことのり)を承りては、必ず慎め」だけが、ひとり歩きしているようです。
しかし、全文を読めば、わたしたち日本人が理解していた内容とは大きく違っていることがわかります。

「一に曰く
 和を以って貴(たつと)しとなす。さからうことなきを宗とせよ。人みな党ありて、また達(さと)れるもの少なし。是を以って、或いは君父に順(したが)わずして、また隣里に違う。しかれども、上和(やわら)ぎ、下睦(むつ)びて、事を論ずるに諧(かな)えば、則ち事理おのずから通じ、何事か成らざらむ。」

(現代解釈)
人間にとって、和が大切である。我を張って、人にさからってはならない。人間は、ともすれば徒党を組んで悪を働き、物事の道理を解っている者は少ない。だから目上の者や親に従順でなかったり、まわりの人々と仲たがいをしたりする。
しかし、上の者が和やかな気持ちを以って下の者に接し、下の者も親しみを以って上と仲良くすれば、どんなに議論をしても、どこかでまとまるものである。上も下も、このような気持ちを以って和を重視すれば、何事も成就しないものはない。

「二に曰く
 篤く三宝を敬え。三宝とは仏・法・僧なり。則ち四生の終帰、万国の極宗なり。何(いず)れの人か、この法を貴(たっと)ばざる。人尤(はなは)だ悪しきものは鮮(すくな)し。よく教うれば、これに従わむ。其れ三宝に帰せずんば、何を以ってか曲がれるを直(なお)くせむ」

(現代解釈)
真摯に三つの宝を大事にしなさい。三つの宝とは仏と法と僧である。
仏は師と仰ぐ人をいい、その師の説かれた教えを法といい、そしてその法を広めるのが僧徒であり、いわゆる聖職者である。
人間はもちろんのこと、四生(胎生・卵生・湿生・化生の四種類の生物をいい、哺乳類・鳥類・節足類)も、つまりあらゆる生物も結局この法に従わなければならない。
その観点から言えば、人間も本来、そんなに悪人はいないのである。
よく真理を教えれば、素直に従うものである。
したがって、この法に従わなければ、曲がった根性を直すことはできない。

「三に曰く
詔(みことのり)を承りては、必ず慎め。君は則ち天なり、臣は則ち地なり。天覆い地載せて、四時順(めぐ)り行き、万気通ずるを得。地、天を覆わむと欲するときは、則ち壊を致さむのみ。是を以って、君言えば、臣承り、上行えば下靡(なび)く。故に詔を承りては、必ず慎め。慎まずんば、自ら敗れむ。」

(現代解釈)
詔(みことのり)とは、当時は天皇の言葉であったが、現代に当てはめれば天であり、すなわち自然の摂理と考えてもいい。
地は、我々凡人である人間一般を指している。
つまり、自然の摂理をよく守り、自然を君主と思い、人間である自分を家臣と思って君主の命、すなわち自然の摂理に従わなくてはならない。そうすれば天は上から覆い、地は万物を載せるという自然の理が正しく行われて、四時つまり春夏秋冬も順調にゆき、万物は自然の法則のままに正しく生成変化する。
一度(ひとたび)この法則を破って、逆に地が天を覆う、つまり人間が自然の摂理に逆らうようなことがあれば、大地自らが壊れてしまい、人類の破滅に通じる。


この理解の齟齬を、一体どのように受け止めたらいいのでしょうか。
聖徳太子の本当の姿は、わたしたち現代日本人の歴史観に掛かっているのです。