第十八章 奈良と京都

奈良と京都。
平城京と平安京を擁した日本を代表する古都であり、共に、中国のやはり古都・長安を真似てつくられた碁盤の目状の町であります。
長安は秦の始皇帝が都とした古都です。
長安と平城京と平安京は、現代では西安と奈良と京都。
長安と西安と平安京は、中国の雅字(良い文字の意)が語源であることは明白であり、まさに東西南北の平和な都の意であるのに対して、平城京の平城は日本独自の命名法に依っています。
平城京は正式には「へいぜいきょう」と読みます。
平城京は708年(和銅元年)に元明天皇の勅命により藤原京から遷都され、784年(延暦3年)に長岡京に移されるまで都がおかれ、平安京に遷都した後は、南都と呼ばれました。
南北朝時代の奈良・吉野が南朝であったのに対し、京都が北朝であったのも、奈良を南都と呼んでいたからであります。
810年、平城(へいぜい)上皇が平安京から平城京に再び遷都する勅命を出しますが、嵯峨天皇が造反し平城京への遷都が実現されなかった。
嘗ては、「へいじょうきょう」とも読まれ、更に以前には、訓読みの「ならのみやこ」と読まれていました。
「平城」を「なら」と読むようになったのは、山に囲まれていた飛鳥に対して、平坦な奈良盆地の真中に都を移したことから来ていて、起伏のある土地を平坦にすることを、「土地を平(なら)す」というように、「なら」には「平坦な」という意味があるからです。
現在の奈良を「なら」と読むようになったのは、「なら」という発音の万葉仮名として「奈良」、「寧楽」があったことからです。
漢字が中国から日本に伝来するまで、日本には文字がなかった。
わたしたちが日本語として使用している文字には、漢字と平仮名・片仮名があります。
漢字が中国からの舶来ものであるのに対して、平仮名・片仮名は国産ものであるから、漢字が伝来する以前から平仮名・片仮名が日本にはあったと思い勝ちですが、実は漢字が伝来して以後、平仮名・片仮名がつくられたのです。
その基となるのが、万葉仮名であります。
日本書紀は中国語の漢字で書かれたものですが、稗田阿礼という巫女が口頭伝説で帝紀・旧辞を憶えていたものを太安万呂が筆録した古事記は、日本語の万葉仮名で書かれている所以であります。
万葉仮名と呼ばれているのは、万葉集が万葉仮名で書かれたものであるからで、歌といえども、すべて漢字で書かれているわけです。
万葉集に山部赤人の有名な歌があります。

田子の浦ゆ うち出でてみれば 真白にぞ 富士の高嶺に 雪は降りける

これは現代語訳であり、もともとは、

田児之浦従 打出而見者 真白衣 不尽能高嶺余 雪波零家留

と書かれている。

わたしたち現代日本人は、富士山のことを「富士」と書いて疑わないのですが、当時の富士山は、「不尽」と万葉仮名で書かれていたのです。

従って、奈良の平城京は日本独自の方法で命名した日本独自の都であった。
京都と奈良の決定的な違いはここにあるのです。