第十五章 紀元節(建国記念日)

日本の建国は紀元前660年とされていることは先に述べました。
1872年(明治5年)明治天皇の治世に、2月11日を初代神武天皇即位の日として、「紀元節」が祝日とされ、同年、奈良に神武天皇を祭神とした橿原神宮を建立したが、太平洋戦争後廃止。
1966年(昭和41年)に「建国記念日」として復活し、現在に至っています。
「紀元節」は、中国古代の予言説である讖緯説(しんいせつ)に基づいて設定され、六甲つまり60年を1元となし、7元の間に3たび変化があって、その7と3とを相乗して、21という数字を得て、21元つまり1260年を1蔀(ぼう)とした。
この1蔀(ぼう)を歴史運行における一番大きな周期の単位として、『易緯云、以辛酉為首』の辛酉(しんゆう)の年をもって1蔀(ぼう)の首年とし、この年に政治上もっとも大きな変革があるとして、易緯にいう辛酉革命によって、推古九年(601年)から1蔀(ぼう)前、すなわち1260年前の辛酉の年(紀元前660年)を、神武天皇の即位年にあてて、のちの『書紀』の紀年が整えられたわけです。
今上天皇まで125代続く「万世一系」の血統と言われているが、実話は第33代推古天皇(女帝)の推古九年(紀元601年)からであり、それ以前の1260年は神話の世界と言ってもいいわけです。
神話は紀元前660年から始まり、実話は紀元601年から始まるという。
紀元前660年頃の世界と言いますと、南北に分かれた北イスラエルと南ユダが共に滅ぼされた時期と合致します。
モーゼの子孫であるダビデが地中海の海賊ペリシテ人(現在のパレスチナ人の祖先)の巨人戦士ゴリアテと戦い、石投げ紐でゴリアテを撃ち倒し、イスラエル国家を建設して以来、ダビデの子ソロモン、ソロモンの子レハベアムと「万世一系」を続けようとした矢先の紀元前928年、ソロモン治世の重税に苦しんだ民が北イスラエルをつくって南北に分裂した。
北イスラエルはサマリアを首都として、ガド族、アセル族、ナフタリ族、マナセ族、シメオン族、レビ族、イッサカル族、ゼブルン族、ヨセフ族、ルベン族の10部族から成り、南ユダはイェルサレムを首都としてユダ族、ベニヤミン族の2部族から成る国でしたが、紀元前721年に先ず北イスラエルがアッシリアによって滅ぼされた、所謂アッシリア虜囚であります。
更に、紀元前597年に南ユダが新バビロニア(現在のイラク)によって滅ぼされた、所謂バビロン捕囚であります。
モーゼ、ダビデが建設したユダヤ王国が、南北に分裂した後、共に滅亡して全世界に散らばっていった時期がちょうど紀元前660年頃のことだったのです。
全世界に散らばっていった12部族の足跡は、ペルシャ(イラン)、アフガニスタン、インドのカシミール地方、ミャンマー、中国にまで及んでいるわけですから、当然、日本にまでその足跡は伸びていたとしても不思議ではない。
紀元前660年の神話は、その辺りからつくられたのではないでしょうか。
そして、紀元601年から実話が始まる。
まさに、日本の起源説である紀元節は西暦を意識した話のように思えてなりません。