14.昭和天皇の戦争責任問題

昭和天皇の戦争責任が明確にされなかった原因は、立憲君主制にあった。
なぜなら、
制定憲法に基づいて選ばれた共和制国家元首は、権威と権力が一枚岩になっているのに、世襲・相続の慣習に基づいた立憲君主制国家元首は権威(象徴)だけで、権力はないから、国家責任の所在が明確でないという致命傷を有しているからである。
では、
当時の日本で、権力を有していた政府は、戦争責任を負ったのであろうか?
まさに、
極東国際軍事裁判、通称「東京裁判」がその判定を下したのであるが、110人の戦犯容疑者の中、有罪判決を受けたのは28名、そのうち、7名だけが死刑宣告を受け即座に死刑執行されたが、残りの大半の終身刑犯たちは、有名無実な刑執行で釈放され、後には大臣や勲章までもらっているのが実体で、権力者も戦争責任を負ったとはとうてい言い難い。
そして、
権威の象徴だった昭和天皇は、来るべき東側諸国との冷戦の西側諸国の前衛としての遣い道のために天皇を利用する狙いのため、起訴すらしない戦略にまんまと乗って、戦争責任から回避した。
一方、
同盟国だったドイツ、イタリアの国家元首は、独裁国家であったゆえ、戦争責任を実質負った。(ドイツの国家元首であったヒットラーは自害。イタリアの国家元首であったムッソリーニは絞首刑)
まさに、
独裁制国家の方が旗幟鮮明である証明だ。
まさに、
立憲君主制の正体とは、支配者側の国家権力も国家権威も一切責任を負わず、被支配者側の国民にすべての責任を負わすものであった証明に他ならない。
まさに、
広島、長崎の原爆投下こそ、その実体の証明に他ならない。