13.立憲君主制の正体

当時の世界にとってのフランス革命は、世襲による君主制国家から、国民選挙による共和制国家に移行するための手段に他ならない。
独裁君主制であろうが、立憲君主制であろうが、世襲による君主が国家元首である限りは、国民選挙による共和制国家よりも進化が遅れていることは明白である。
そういう点では、
立憲君主制は訳のわからない制度であり、まだ北朝鮮のような独裁君主制の方が旗幟鮮明である。
ところが、
フランス革命の直後にナポレオン・ボナパルトという稀代の英雄が登場した結果、共和制国家に移行するどころか、独裁君主制国家に逆行してしまった。
まさに、
近代国家を目差して戦国時代を走り抜けた織田信長が急死した直後に豊臣秀吉という稀代の英雄が登場した結果、近代国家どころか、独裁君主制国家に逆行してしまったのとまったく同じ現象が世界で起こったのである。
一方、
新世界であったアメリカでは、逸早く、共和制国家が実現したのに(1776年)、旧世界であったヨーロッパでは、共和制国家が実現するには、1917年のロシア革命までの100年以上待たねばならなかったのである。
そして、
その100年の19世紀の間に、大英帝国が世界を席捲した結果、立憲君主制国家がヨーロッパ世界の中心になってしまい、明治維新の日本も立憲君主制国家を選択してしまったのである。
では、
立憲君主制の真の狙いは一体何であったのか?
まさに、
文字通り、独裁君主制を合憲化したものが立憲君主制に他ならない。
言い換えれば、
独裁君主制とは、近代国家の基本にある制定憲法に違憲する制度に他ならないのである。
平たく言えば、
独裁君主制国家とは非近代国家に他ならないのである。
そして、
非近代国家である独裁君主制国家を合憲化したものが、立憲君主制国家と言うわけだ。
では、
制定憲法に違憲しているのは独裁制であり、合憲しているのが立憲君主制だと云うのか?
まさに、
君主制そのものが、制定憲法に違憲しているのである。
なぜなら、
国家元首を国民の選挙で選ばれることを明言したものが憲法であって、国家元首が世襲・相続で決められるのなら憲法など制定する必要がないからである。
なぜなら、
制定憲法に基づいて選ばれた共和制国家元首は、権威と権力が一枚岩になっているのに、世襲・相続の慣習に基づいた立憲君主制国家元首は権威(象徴)だけで、権力はないから、国家責任の所在が明確でないという致命傷を有しているからである。
まさに、
昭和天皇の戦争責任が明確にされなかった原因は、立憲君主制にあった証明に他ならない。