(その二十二) 怒れ!団塊の世代

戦後ベビーブーマーの世代、つまり団塊の世代が52才から56才の年齢に入りました。
まさにこれからやって来る高齢化社会の主人公であります。
しかし、日本経済はこの世代を実に粗末に扱ってきました。
そしてその最後の仕上げがリストラであり、彼らがリストラの最大ターゲットにされたのです。
殆どの大企業は、この世代を会社の首脳陣からオミットしたのです。
今、日本における大企業の殆どの幹部役員は、この団塊の世代を挟んだ形で構成されていると言って過言でないでしょう。
入社年度で言えば、大阪万博のあった1970年から1974年の間に社会人になった人達です。
大企業の幹部たちは、この大きな塊を上手く使い切れずに、目先の利益だけに汲々とした脳無し連中であるのです。
その脳無し連中が、年金ももらい、悠々自適に退任後を楽しんでおる中で、団塊の世代が一番多くの年金資金を提供してきたにも拘らず、彼らは63才から年金をもらえるかどうかも怪しくなってきているのです。
戦後日本経済の中で、大阪万博以後の日本経済飛躍の原動力であった、これら団塊の世代が、使い捨てライターのように今扱われているのです。
日本という国は、どうして貢献した人間をそれなりに待遇せずに、彼らの残した功績をハイエナやハゲ鷹の如く、盗み取りした連中が偉くなるシステムになっているのでしょうか。
わたしは海外生活が多かったので、欧米企業の連中の考え方を良く知っています。
彼らの発想では、日本の大企業の抜擢人事がまったく理解出来ないと、よくわたしに質問してきます。
わたしは、その時にこう答えるのです。
「あなた方の先祖は狩に出て生計を立てていた狩猟型民族だから、猟のよく出来る人間が当然のことながら、人の上に立つ。しかし日本のような農耕型民族は、天候という自然に左右される村社会で、人間の努力裁量は極めて少ない風土の歴史がある。その中で村八分と言って、いくら能力があっても、協調性が無いと、のけ者扱いされるのが掟であったから、個人能力よりも協調性が重んじられる社会である。しかし、世界経済が自由主義競争社会になると、日本的風土はマッチしない。それがあなた方の奇異に感じる理由である」
とわたしも言いながら、この村八分社会の不条理さに、一番怒りをおぼえるひとりであります。
高齢化問題などと絶対言わせない社会を、団塊の世代はこれから構築していかなければなりません。
この村八分社会に敢然と戦いを挑む勇気を持って頂きたいと思うのであります。
やられっ放しで、黙っていてはいけません。