(その十九) 今やお金は、怪しい教祖さま

21世紀は、高度情報化社会になると言われています。
つまり、世界は、地理的な拡がりから、想いの拡がりになって行くことを意味しているのです。
地理的な拡がりなら、歩く時代には歩く速度がベースの広さであり、飛行機で飛ぶ時代には、飛行機の速度がベースの広さであったのです。
現代では、我々の速度感覚は飛行機の速度が一般になって来たようですから、実質の地理的拡がりは、円周4万5000Kmなのですが、飛行機で地球一周50時間で飛べるのですから、50時間の拡がりの世界に住んでいるのです。
しかし、想いの方は、光と同じ速度いやもっと速いかも知れませんから、想いの拡がりは一瞬なのです。
つまり高度情報化社会になりますと、我々の住む地球は、一瞬にして何処へでも行けるのです。
従って、お金を中心の財貨の動きも、従来のようなモノとして運ぶ速度から、一瞬にして運ばれる時代に入って行きます。
電子マネーなどはその典型であります。
ところが、我々が持っている財貨の感覚は、いまだにお金、金、銀、土地・・・といったモノであるのです。
これは、おかしな話です。
電子マネーの時代は、お互い人間同士の信頼関係と約束事ではじめて成立するものなのに、まだ我々はモノに執着している。
現に、イラク戦争でサダム・フセインの次男がトラックに現金を積み込んで逃げたのは、モノしか信用していないからでしょう。
また相手方のアメリカも、フセインが所有していた世界の金融資産をすべて凍結したのは、信頼関係も、約束事も知ったことではないということでしょう。
一方、我々も日常、貯蓄したものは、お金なら銀行に預け、土地ならお上に登記して安心しておるわけです。
そんなものは、まったく砂上の楼閣であることは、先のイラクの話で証明されておるのに、我々は信用しておるのです。
いや信用したいと思っているのでしょう。
そこへ高度情報化社会がやって来た。
ますますモノの時代ではなくなって来たわけです。
それでも、我々はお金を拝んでいて、果たして安全なのでしょうか。