(その十三) グローバリズムとナショナリズム

イスラム社会が何故グローバリズムに反旗を翻すのか、もちろん敵国イスラエルがグローバリズムの巣窟であることも大きな理由でありますが、やはり、石油精製事業と卸し売りを請け負っている国際石油資本からの自立が、その底辺にあるのです。
イスラム社会はそのストイックな回教が故に、国際社会からのけ者にされているという論理は、世界を支配しているキリスト教国家の対アラブ産油国戦略であるのです。
現代のイスラム社会は、決して狂信的イスラム教徒の支配する国家ではありません。
我々日本人が、冠婚葬祭に仏式や神式を使い分け、まるで敬虔な信者のように振る舞うが如きで、彼らのお祈りも形骸化しているのが実体であるのです。
イラク戦争で彼らは聖戦などと言っておりますが、それは自らを鼓舞する為のもの以外の何者でもありません。
その証拠に、アメリカに負けた時の準備をサダムフセイン等はしておったから、未だに発見出来ないのであります。昔の戦争では考えられないことです。
現代社会において宗教や信仰は、ほぼ形骸化していると考えていいのではないでしょうか。
新興宗教においては、ねずみ構ビジネスの加害者と被害者の関係そのものであります。
そうしますと、グローバリズムとナショナリズムも、その底辺には経済問題が深く関わっていると考えるべきであります。
ではグローバリズムとナショナリズムを経済問題の観点から検証してみるとどうなるでしょうか。
政治形態には、中央集権制と地方分権制とがあります。
中央集権制がグローバリズムであり、地方分権制がナショナリズムであると考えていいでしょう。
中央集権制の本質は独裁主義にあり、独裁者が独りの人間であるか、集団であるかの違いがあっても、その特性は独裁制にあることです。
我々日本は、そういう点では、明らかに官僚の集団指導による独裁的中央集権制国家であります。
国家元首が国民の選挙によって選ばれる共和制以外の政治形態はすべて中央集権制独裁国家がその実体であります。
我が国においても知事、市長が一般大衆の直接選挙によって選ばれているわけで、地方自治体は共和制であるのです。
どちらが良いのか、一概に言えないのでありますが、問題は一般大衆が、自分たちの社会が中央集権制独裁主義によって政治が為されているのか、自分たちが選んだ人間による共和政治が為されているのかを自覚していないところにあるのです。
我々は、自分達の社会の政事が、如何なる政治形態で為されているのかを検証することから改めてスタートするべきだと思うのであります。