現代社会人が拝金主義に陥っている原因は、時間の奴隷になっていることにあると言っても過言ではない。
世界を西と東に二分した冷戦の正体は、資本主義と(似非)共産主義である社会主義という両方共に利益を追求した支配者(権力者)同士の覇権争いであっただけで、被支配者(国民)にとっては、資本主義も社会主義も何ら変わらなかった。
東側陣営であった社会主義国家が、より全体主義化したために先に自滅しただけのこと。
欲が突っ張った方の支配者である権力者が自滅しただけのことで、被支配者である国民にとっては何も変わっていない。
“革命”とは、被支配者側の支配者側に対する戦いではなくて、支配者側の覇権争いか、内部階級闘争に過ぎないことを、わたしたち被支配者側である国民は気づかなければならない。
奴隷(国民)が革命を起こした試しなど歴史に一回もなかったことを肝に銘じて置くべきである。
圧倒的な数の被支配者は、僅少な数の支配者に永遠に奴隷扱いされる運命にあるのか。
圧倒的な数の弱者と僅少な数の強者、圧倒的な数の愚者と僅少な数の賢者といった二元論が厳然と働いている社会である限り、圧倒的な数の貧者と僅少な数の富者、圧倒的な数の不幸者と僅少な数の幸福者の状況を打破することは不可能である。
他の生き物の世界にも、この二元論は厳然と働いている筈なのに、人種差別やいろいろな不条理や戦争は人間社会だけに起こる。
他の生き物の世界にも支配者的ボスはいるが、支配・被支配の二層構造社会にはなっていなくて、飽くまで一人(一匹)のボスとその他に分かれているだけ。
支配者集団(組織)と被支配者集団に分かれているのは人間社会だけである。
自然社会は民主主義ではなくて賢者による独裁主義である。
ボスは私有財産を認められているが世襲・相続は認められていないことを以って、賢者の独裁者たり得る。
ボスは食べものを一番先に食べる権利を持ち、メスとの交尾権も一番先に持っている。
ボスという圧倒的体力による腕力の成功報酬であり、それがボスの私有財産である。
私有財産の反対給付として、ボスは外敵が襲って来たら一番先頭に立って、命を張って戦わなければならない。
そのためには常に外敵を追い払う圧倒的腕力が必須条件であり、世襲・相続などでボスを決定するような中途半端なことをすれば、忽ち外敵に滅ぼされる。
ボス継承の決定は世襲・相続ではなくて、実力(腕力)勝負で決定される。
人間社会だけにある人種差別・不条理・戦争の原因は、賢者(実力者・腕力者)による独裁ではなくて、民主主義による支配構造にある。
民主主義とは二元論機能(量と質は反比例する)をより発揮できる手法であり、被支配者(国民)側のためにあるのではなく、支配者(権力者)側集団(組織)のためにあることを、わたしたち被支配者(国民)側は気づいていない。
民主主義とは組織による支配形態であり、人種差別・不条理・戦争の原因はすべて民主主義にあると言っても過言ではない。
民主主義とは近代になってはじめて登場したのではなくて、支配・被支配の二層構造社会になった古代から、つまりゲゼル・シャフト(利益社会)になった時に誕生した。
古代以前の原始社会はゲマイン・シャフト(共同社会)という真の共産主義社会であり、自然の生き物が踏襲してきた社会構造の延長線上にあった。
利益を追求する社会が支配・被支配の二層構造社会を生み、人種差別・不条理・戦争を生み出した。
利益とは、拙著「富裕論」で述べたが、蓄積の概念が生れた結果であり、他の生き物と同じように狩猟社会である間は蓄積の概念がなかったのに、穀物を収穫する農耕社会になって誕生した考え方である。
狩猟社会は本人の実力次第の個人社会である。
農耕社会は他者(自然も含めて)と協力する組織社会であり、狩猟社会にもあった太陽信仰が、太陽を神とする組織の宗教に変質していった。
太陽信仰が、太陽を神とする組織的宗教になった結果、時間の概念が人間社会だけに誕生した。
時間の概念の誕生は、太陽信仰に端を発した結果生じた朝・昼・夜と春・夏・秋・冬の意識の芽生えにあった。
拙著「神はすぐ傍」の命題である、「時間が神」はこうした検証からの発想であり、四苦八苦の人生を送る人間にとっての最大且つ唯一の命題は、「時間が神」になってしまったことに起因する。
まさに、宗教が、悩みや四苦八苦、揚句の果ての、死の恐怖に苛まれる一生を送る羽目に陥れた「時間」という概念をつくった張本人であった。
いかに時間から支配されないで生きるか?
21世紀に生きる人間に課せられたテーマである。