50万年前に四本足動物から二本足動物になった原人(ホモエレクトス)が知性を得た結果、死の概念を知るに至った。
有知性動物・人類の誕生である。
爾来、人類は必然性の死を経験しなければならなくなった。
無知性の生き物は死の概念を知らない故に偶然性の死を経験するだけ。
従而、有知性生き物・人間は、“死は必ずやってくるが、死期も決まっている”という生き方をせざるを得ない。
覚悟の人生と言い換えてもいいだろう。
ところが、我々人間は未だに、“死は必ずやってくるが、死期はわからない”という考え方を疑いもせずに持って生きている。
だから、“生は好くて、死は悪い”と思い込むようになり、挙げ句の果てに、“オスは好くて、メスは悪い”、“善は好くて、悪は悪い”、“強は好くて、弱は悪い”、“賢は好くて、愚は悪い”、“富は好くて、貧は悪い”、“幸福は好くて、不幸は悪い”、“天国は好くて、地獄は悪い”・・・“健康は好くて、病気は悪い”、“神は好くて、悪魔は悪い”・・・といった手前勝手な、好いとこ取りの考え方に嵌り込んでしまった。
結果、支配・被支配二層構造と世襲・相続の差別制度が織り成す差別・不条理・戦争の横行する社会をつくってしまった。
50万年前からのトラウマが人類の歴史に深い陰を投げかけてきたのだから、一朝一夕にこのトラウマを解消することは難しい。
況してや、人間が勝手につくった政治・経済・社会的解決など不可能だと言っても過言ではない。
人間が勝手につくった政治・経済・社会的解決で、差別・不条理・戦争の人間社会から平等・公正・平和の人間社会に変えることなど土台不可能な話である。
自他の区分け(差別・分裂)概念を有する組織体(Organization)で、有知性生き物・人間の根元的な問題を解決することはできない。
唯一無二の自己である本当の自分に目覚めることこそが、有知性生き物・人間の根元的な問題にメスを入れることができる。
目覚めの最大の鍵は、“死が必ずやってくるなら、死期も決まっている”という必然性の死を受け入れることしかない。
“自分の死期は自分で決める”ことを、有知性生き物・人間全体の座右の銘にすることが二十一世紀の命題である。
そして、我々人間ができる政治・経済・社会的解決の唯一の方法は、自殺することの正当性を社会が認め、自殺の容易化のための安楽死の合法化をすることである。
更に、財政赤字解消の切り札にもなるだろう。