全力を尽くす人生を送るには、結局の処、『今、ここ』を生き切るしかない。
『今、ここ』を生き切ることができないのは、過去や未来に思いを馳せる連想ばかりをする、つまり感情の虜(とりこ)になるからで、本当に考えるということをしていないからである。
感情の虜(とりこ)になると、自分が重要と思ったことだけに腐心し、自分が些細なことだと思ったことを粗末にする八方美人的人間に陥り、「二元論」の法則に基づけば八方不美人になっているのと同じで、畢竟、誰からも信頼を得られない哀れな人生を送ることになるのは必定である。
上司だけに目を向け、部下は自分の出世のジャンピング・ボード(踏み台)にしているような、この世的成功者ほど哀れな末路はない。
この世的成功者は、『今、ここ』を生きることを悪のように思い、未来ばかりに執われている未来志向型の人間である。
ビジネス社会では、未来志向は必須条件のように信じ込まれている。
産業革命以後の科学技術力によって世界のリーダーシップを手にしたアメリカは、未来志向の戦略思考で世界の富を獲得し、まさしくこの世的成功の絶頂を極めたが、国民の90%が不眠症で悩まされている現状は平和国家と果たして言えるだろうか。
この世的成功は所詮、マクロ世界からミクロ世界までを貫く法則に基づく成功ではなく、ミディアム世界である物質社会を人間社会とした一時的成功だから、時期が来ればかならず崩壊するのは過去の歴史が物語っている。
結局の処、ビジネス社会といえども人間社会であり、人間社会といえども自然社会の一部であり、自然社会は地球の一部であり、地球は宇宙の一部である以上、ビジネス社会もマクロ世界からミクロ世界までを貫く法則に則していなければ、法則違反になって宇宙から消滅せざるを得ない。
ビジネス社会の企業戦士だと胸を張って、未来志向を金科玉条のように謳っていても、最後には泣きを見る。
過去や未来に思いを馳せて生きているつもりの我々人間も、生きているということは『今、ここ』にいる証左であり、生きている『今、ここ』を自覚しない限り、人生を失い続ける羽目になる。
何故なら、三次元空間である一瞬つまり『今、ここ』と、四次元時空間つまり一生を俯瞰できるのが人生そのものであり、そのためには、『今、ここ』の積み重ねしか方法はない。
宇宙レベル、地球レベルでは一瞬とは一日の積み重ねであり、一生とは一年の積み重ね。
『今、ここ』の不断の自覚とは、“継続とは力なり”の実践に外ならない。
ひとたびやると決めたことは絶対に止めてはいけない。
ひとたびやると決めたことを止めるたびに『今、ここ』を失っていく。
『今、ここ』を失っていくということは、自己の人生を失っていくことに外ならない。
『今、ここ』にとっては、些細なこと、重要なことの区分けはない。
重要なことを大事にする人間は、些細なことも大事にする。
重要なこととは嘗ては些細なことから始まったもの。
些細なことを大事にしない人間に重要なことができるはずがない。
上司ばかりに目を向けて、部下をジャンピング・ボード(踏み台)にして来た“この世的成功者”は、結局の処、すべてを失った人生の失敗者になる。
高齢化社会の問題の本質は、この世的成功者の哀れな末路と表裏一体であると言っても過言ではない。