二十一世紀は全く新しい価値観の社会にしなければ人類の存続はあり得ない。
二十世紀までの人類文明を発展させてきた未来志向の反動が、いま起き始めている。
未来志向は未来思考の結果であるから、過去・現在・未来に「想い」を馳せた結果であり、人類文明の発展は思い悩む四苦八苦の人生との交換条件であったわけだ。
生老病死と愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五蘊盛苦の四苦八苦は、快適な衣食住生活との交換条件であった。
快適な衣食住生活とは、ブランド物の衣類にうつつを抜かし、グルメ料理にうつつを抜かし、マンション・ブームにうつつを抜かす文明社会のことであり、まさしく現代日本社会の様相である。
ビジネス社会も未来志向(思考)の権化のような存在であり、未来志向を金科玉条のごとく信じ込み、自ら企業戦士と胸を張っている人たちの浅ましい社会に他ならない。
ビジネス社会は西洋近代化社会が生んだ代物であり、しかもその正体を見せはじめたのは第二次世界大戦後のことで、まだ半世紀しか経っていない。
最適工業化社会を標榜した社会のことであり、それ以前の近代化社会とは、その質において大きく違っていることを、我々現代人は忘れてしまっている。
拝金主義に塗れた企業人など戦前の日本社会に存在しなかったが、現在の日本の大企業はまさしく拝金主義の権化に陥っていると言っても過言ではない。
企業犯罪が頻発しているのがその証左であり、経営トップの倫理観を含む質の甚だしい低下は目を覆うばかりの有様だ。
実力で地位を得る戦前に比し、ゴマスリだけで大企業トップの地位を得た当然の結果である。
本音で生きることを忘れ、建前だけで生きてきた、まさしく犬や猫にも劣る生きものが世間的に高い地位を得ているのが現代日本社会である。
一億総四苦八苦の日本国民であるのに、その自覚が全く無い。
快適な衣食住生活にうつつを抜かしてきた反動が起こっている。
宇宙全体からすれば地球は一家族のようなものである。
快適な衣食住生活を送っている者と飢餓状態の生活を送っている者とが混在している家族などあり得ない。
飢えた子供を横目に母親はグルメ料理にうつつを抜かすことができるだろうか。
昔の日本社会では、貧困に喘いでいる隣人がいれば皆で助ける互助精神があったが、今では親兄弟が困っていても見て見ぬ振りをする。
ところが地震・津波や台風で災害に遭った人たちにはマスコミを通じて寄付をする。
偽善の最たる現象である。
西欧キリスト教社会に寄付の習慣があるのは偽善と差別意識の証明である。
二十一世紀はこういった習慣を捨てた新しい価値観の世紀にしなければならない。
過去・現在・未来に「想い」を馳せる水平時間の流れに身を任せずに、『今、ここ』を生き切る垂直時間に身を投ずる勇気ある生き方が、新しい価値観の核にならなければならない。
今までの自由とは違う本当の自由つまり「高度自由」を獲得するためには、「勇気」の発露が責務になる。
自由には責任が伴うように、「本当の自由(高度自由)」には「勇気」という責任が伴うのである。