(その九)

エチオピアは、嘗ては他のアフリカ諸国と同じように、アフリカン・ブラックの先住民が住んでいたが、イェーメンのシバ王国の住民が移住して、ソロモン王とシバの女王の血筋を受け継ぐと称するアクスム王国が、現在のエリトリアにある沿岸の港町アドゥリスを通じた貿易で繁栄した結果、異色の国家となってしまった。
では、イェーメンのシバ王国の住民は、アラビア半島を北上して、シナイ半島からアフリカ大陸に入り、エジプト、スーダンを通りエチオピアに遥々やって来たというのだろうか?
やはり、モーゼの引き連れたヘブライ人一行が紅海を渡った海上ルートを利用したに違いない。
そうすると、旧約聖書「出エジプト記」の紅海を真二つに割る奇跡はあり得ない話だが、紅海を渡ったことは事実であろう。
一方、イェーメンという国も、アラビア半島の中では異色の地にある異色の国家である。
アラビア半島を飛行機で上空から眺めると、砂漠一色のアラビア半島に突然断崖絶壁の崖が拡がる。まさに、2000メートルを超える崖が現われ、飛行機が崖に衝突しそうになる。断崖絶壁を超えると真平な台地が拡がり、その中心にイェーメンの古い首都サヌアがある。
サヌアは、ローマを西(日の沈む世界=ereb)の世界の始点とするシルクロードが、ダマスカス(現在のシリアの首都)からアンマン(現在ヨルダンの首都)を経て、ジェッダ、アブハとアラビア半島を縦断した先に大きな壁を隔てた場所にあるにも拘わらず、シルクロードを往来する隊商が必ず寄港した町なのである。
イェーメンという国が、アラビア半島の中の孤絶した場所でありながら、重要な基地であった所以だ。
更に、シルクロードを往来する隊商とはヘブライ人で独占されていた所以でもある。
ヘブライ人とユダヤ人、その間にイスラエル人がある所以だ。
「イスラエル」とは、「イシャー」と「エル」の合成語で、「イシャー」とは勝利する者の意、「エル」は神の意だ。まさに、イスラム世界で最もよく使われる言葉「インシャラー(神のお召しのままに)」とは、「イスラエル」のことに他ならず、イスラエルとアラブは兄弟であり、兄弟ゆえ骨肉の争いをするのだ。
では、なぜそんな孤絶した場所にシバ王国が築かれたのだろうか?
これも歴史の謎だが、その謎を解く鍵が、エチオピアという異色国家にあることを誰も気づいていない。
一方、3300年前に大量の人間を積んで海を渡る船を建造する技術を、ヘブライ人は持っていたのだろうか?
これも歴史の謎だ。
カイロ郊外にあるギザのピラミッドの傍に船が置かれてあったことは周知の事実であり、船の建造技術の中に、ピラミッドを建造する上で絶対条件であるπの知識があったからだ。
そうすると、ピラミッドを建造した技術はヘブライ人が持つ固有の技術に他ならず、なぜエジプト王朝がヘブライ人を奴隷として使ったのかの理由がわかってくると同時に、エジプト人とヘブライ人は単なる支配・被支配の関係ではなかったことが推論される。
洪水が頻繁に起こっていた鴨川を治水して平安京を建設した、土木技術集団と云われる秦一族は、単なる中国からの渡来人だと単純に断定できず、その先には、ヘブライ人の陰がつきまとっている所以であり、現に、彼らの信仰が景教である点が裏づけの証でもある。
まさに、ヘブライ人のヘブライ人たる所以がここにあるのかも知れない。
彼らの子孫であるアクスム王国が全盛期であった4世紀のころコプト教が伝来したが、コプト教伝来以前はシバ王国から伝わった月崇拝をしていたクシュ王国を滅ぼして、その一部まで支配した。
29.5日を一周期とする月を暦の基本にする、いわゆる、29日と30日を交互に一月とする太陰暦をイスラム世界が今でも採用しているのは、月崇拝の所以であり、イスラム教の唯一絶対神のアラーは太陽崇拝ではなく月崇拝であり、延いては、エホバを唯一絶対神とするユダヤ教も太陽崇拝ではなく月崇拝であり、延いては、父なる神を唯一絶対神とするキリスト教も太陽崇拝ではなく月崇拝であったことになる。
まさに、イエスがイェルサレムのユダヤ教エッセネ派(通称エッセネスクール)で学んでいたのは、光が実在ではなく、暗闇が実在であり、光は暗闇の不在概念に過ぎない真理を学んでいたから月崇拝になったに違いない。
“はじめにことばありき”ではじまる、キリスト教のバイブル新約聖書は、イエス・キリストの教えの正反対である証だ。
キリスト教とは、イエス・キリストの教えを隠すためにつくられた宗教だ。
だから、キリスト教会の祭壇に十字架に架けられたイエスを飾るのである。まさに、見せしめだ。
イエス・キリストもヘブライ人の王家の血筋を引くと新約聖書が語るのは、事実を隠すためであり、その鍵がエチオピアのアクスム王国にある。
アクスム王国は、10世紀ごろにアガウ族の女首長グディトに滅ぼされたという説とアクスムのやや南方のラスタ地方から台頭してきたザグウェ朝(西暦1150年〜1270年)に滅ぼされたという説とがある。
ザグウェ朝は13世紀初頭のゲブレ・メスケル・ラリベラ王のときが全盛期で、首都ロハ(現ラリベラ)には世界遺産にもなっているラリベラの岩窟教会群が築かれたが、王位継承争いで衰え、さらに南方のショア、アムハラ地方からアクスム王の血筋を受け継ぐと称する有力者イクノ・アムラクによって1270年に滅ぼされた。
イクノ・アムラクの建てたエチオピア帝国がソロモン朝と呼ばれる所以である。
ソロモン朝は、イクノ・アムラクの孫であるアムデ・ション1世以降15世紀のゼラ・ヤコブまで全盛を誇り、エジプトのマムルーク朝に大きな態度をとることすらあったが、16世紀以降その力は衰え、1679年〜1855年まで諸侯が抗争する群雄割拠の時代となった。
まさに、エチオピアという国はアフリカ大陸にあってもイスラエルと深い絆を保ってきた異色国家であり、イスラエルのソロモン王とイェーメンのシバの女王の深い絆が連綿と引き継がれてきた国なのである。
褐色でありながらユダヤ人と自称するエチオピア人が多数いる国であり、西暦69年にローマ帝国によって滅ぼされたユダ王国の首都イェルサレムのソロモン神殿の中に安置されていた契約の聖櫃が忽然と消え去った事件の顛末が、エチオピアのシナゴーグに移されたという噂もまんざら荒唐無稽な話ではないし、延いては、契約の聖櫃が、遥か日の出る国=asuの東の果ての国、日本にまでやって来て、四国の剣山の中に安置されている話まである始末だ。
二本足歩行する人類の脳の進化が、知性という最強の武器を得、地上最強の生きものになることによって、まさに、ホモサピエンスとしての人間に進化した。
その過程の中で、罪的側面として、支配する者と支配される者の二層構造の差別社会が構築されていった。
まさに、インド亜大陸の先住民であるドラビダ人というネグロイドを、アーリア系白人が侵略した歴史と同じことが、エチオピアでも展開されていたのである。
アジスアベバに入った一哉は、1ヶ月の遊覧船の旅ですっかり友達になった船長ハミドの紹介状を持って、ハミドの生家を訪ねることにした。
一哉がアジスアベバに入った頃、エチオピア国内で異変が起こっていた。
首都アジスアベバは穏やかな空気を保っていたが、地方では暴動があっちこっちで起こっていたのである。
まさに、日本の天皇家と匹敵する伝統を誇っていたエチオピア王国の崩壊劇の幕が切って下ろされたのだ。
その数年後に、アラビア半島を、アフリカ大陸と共に挟み込んでいるイラン大高原でも革命の嵐が吹き上げるなどと、まさか一哉は思い知る由もなかった。
ハミドの実家を訪れると、ハミドから連絡があったらしく、一哉は家族から大歓迎を受けた。
「アベベは今では英雄でもなんでもないよ!」
ハミドの父親であるヨセフが、唐突にも開口一番、一哉に言った。
一哉が日本人であること、日本がマラソン王国であること、そんなマラソン王国の日本で、“裸足のアベベ”は今でも英雄であることを知っていたからだ。
「彼は、エチオピアでは、英雄ではないのですか?」
素直に訊く一哉に好感を持ったヨセフも忌憚のない意見を言う。
「ローマオリンピックで金メダルを取ったまではよかったのだが、東京オリンピックで金メダルを取ってから、彼は天狗になってしまったようだ・・・」
「スポーツにお金が絡むと人間を駄目にしてしまうようだ・・・」
現に、1984年のロサンゼルスオリンピック以来、プロとアマチュアの境界が外され、スポーツ=商売になってしまった。
まさに、人間社会が超拝金主義に陥った証拠だ。
プロとアマチュアの境界が外され、スポーツ=商売になって以来、スポーツ選手、特に、プロスポーツ選手の収入が驚くべき額に跳ね上がっていき、純粋な想いでするものだったスポーツが堕落し、スポーツ選手も拝金主義者へと堕落していった。
古代ギリシャで起こった古代オリンピックと現代オリンピックの間に堕落という楔を打ちこんだ張本人は、拝金主義に他ならない。
スポーツも聖職の坂から転げ落ちた。
「ローマオリンピックで金メダルを取ったまではよかったのだが、東京オリンピックで金メダルを取ってから、彼は天狗になってしまったようだ・・・」
「スポーツにお金が絡むと人間を駄目にしてしまうようだ・・・」
いみじくも、ハミドの父親であるヨセフの何気なく言ったことが、現代人間社会の病巣を指摘していたのである。
一哉は、歴史に対する悟りの一瞥を、このとき得た。
『現代人間社会の病巣に気づくためには、歴史を現在から過去へと遡ってゆかなければならない!』
『過去から現在へ辿る歴史観では、過去は唯一の事象と限定してしまうため、現在の可能性(確率)も唯一の事象と限定してしまうことになる!』
『現在から過去を遡る歴史観では、現在を無数の事象に拡大すれば、過去の可能性(確率)も無数の事象に拡大することができる!』
『現在の考え方を変えることで、過去を変えることができるのだ!』
小難しい表現をせず、平たく言えば、“反省”という言葉こそ金言なのである。
反省するとは、現在の自分を否定することからはじまるのだが、殆どの人間は現在の自分を否定しようとしない。
つまり、まるで反省能力がないのである。
反省している振りをしているだけで、行動が伴っていないのだ。
だから、散々な歴史になるのである。
散々な歴史を変えることができるためには、先ず、自己反省からはじめなければならない。
そして、“歴史は変えることができる”という考え方が、その後の一哉の考え方の核になってゆく。
従来の歴史という学問は、過去から現在へ辿る方法を採用してきたが、その方法がそもそも間違いだったのである。
文明社会の歴史とは、古代→中世→近代→現代に至ることが当たり前だと思い込んできたから、現代民主主義社会もしょせんは古代奴隷社会と実体は同じなのである。
なぜなら、はじめに古代奴隷社会ありきだから、中世も、近代も、現代も、形態は変っても本質は変らないのである。
だから、政治家たちが和平会談をいくらしても、世界から戦争はなくならないのである。
だから、政治家たちが公正会談をいくらしても、世界から不条理はなくならないのである。
だから、政治家たちが平等会談をいくらしても、世界から差別はなくならないのである。
なぜなら、政治家たち自身が、差別・不条理・戦争の実行者なのだから。
なぜなら、政治家たち自身が、歴史の創作者なのだから。
新しい考え方の歴史観で文明社会を検証すると、現代→近代→中世→古代と遡ってゆくのである。
エチオピア人の家庭を訪問して、歴史の裏に隠されてきた真実を知った一哉は、数年後、イラン革命が起こる直前のイラン人家庭を訪問した時に、それから2ヶ月後にイラン革命が成立することを予測する能力と共に、すべての事象の本質は表面にはその姿を見せず、虚構が表面に現われるものであることを知った。
まさに、老子が本質で孔子が虚構なのが真実なのだ。
まさに、ディオゲネスが本質でアリストテレスが虚構なのが真実なのだ。
だが、世界は孔子やアリストテレスを称賛し、老子やディオゲネスはその存在すら認知されない。
この世的成功者とは一体何者なのだろうか?
エチオピアの首都アジスアベバは、1886年にエチオピア皇帝メネリク2世により建設されたが、その場所は皇妃のタイトゥ・ベトゥルが選んだという。
まさに、インドの栄華を誇ったムガール王朝の首都だったアグラに、死んだ妃のために荘厳なタージ・マハールという廊廟をつくったのと同じだ。
独裁者は男だが、独裁者を支配するのは、女と決まっている。
無敗を誇っていたナポレオンがワーテルローの戦いで最初にして最後の敗北をした原因は、女房のジョセフィーヌが戦争に出かけるナポレオンを引き止めて抱擁をねだんだことに起因したのだから、独裁者にとって最大の敵は女なのである。
なぜなら、ナポレオンはそれまでの勝利の戦はすべて自分が先頭を切っていたのに、ワーテルローの戦いだけは自ら先陣を切れなかった結果、敗北したのである。
まさに、ナポレオンを敗北の地に追いやったのは英国ではなく、ナポレオンの女房のジョセフィーヌだったのだ。
強き生きもの・男は弱き生きもの・女によって滅ぼされる。
これが真理だ。
弱きものが強きものを挫く。
これが真理だ。
老子は言う。
水は柔らかくて何をも受け入れるが、硬くて何をも受け入れない岩を挫くことができる。
だが、世界は老子の世界を認識できず、孔子の世界を称賛する。
その結果、世界に差別・不条理・戦争が蔓延するのだ。
中国という国はまさに中庸の国だから、孔子を称賛してはこけ降ろすことを繰り返してきた歴史を持ち、現体制は孔子を称賛しているだけに、いつか必ず崩壊するだろう。
概ね孔子を称賛しながらも、老子をも抱え込んでおくのが、中庸の国、中国の所以だ。
この世的成功者とは一体何者なのだろうか?
一哉は人間社会の矛盾に愕然としたのである。