(その五)

“エジプト”
古代ロマンの匂いのする響きだ。
だがその響きはエジプト人には何の感傷もない。
エジプト系アラビア語では、“Misr(ミスール)”がエジプトの国の名前だからである。
日本にもやってきているエジプト航空の機体には、“Egyptian Air”ではなく、“Misr Air”と刻まれているのが、その証だ。
古代エジプト文明として日本人なら誰でも学生時代の歴史で学んだ国だが、現在のエジプト人と古代エジプト文明のエジプト人はまったく違う人種である。
イスラエル・パレスチナ問題の劇的変化をもたらしたのがエジプトである話も、今では忘却の彼方に追いやられてしまうほど昔日の事件になってしまった。
現代エジプト国の2代目大統領アンワール・サダトが、アラブ諸国の反対を押し切ってイスラエルとの和平会談を実現した結果、彼は暗殺された。
サダトはスーダン系エジプト人であり、ハム系エジプト人ではなくアフリカ系人種を祖先としている点が、現在のアラブ系エジプト人との違いを象徴している。
古代エジプト人は、アダムとイブから分化していったノアの長子のハム系であり、ヘブライ人のルーツと同じだ。
アラビア半島に住むアラブ人はセム系であり、本来、彼らはすべて、アダムとイブを祖先とする人種であるが、ハム系であるヘブライ人や古代エジプト人とは一線を画している。
パレスチナ人の祖先であるペリシテ人とヘブライ人の確執が、現在のイスラエル・パレスチナ問題の原点にあるのだが、パレスチナ人を支持しているアラブ人とは、本来何の関係もない点に、古代エジプトと現代エジプトの違いが隠されている。
ペリシテ人はハム系でもセム系でもない、すなわち、神と契約した聖書民族の血を引いた人種ではなく、地中海で海賊を生業としていた古代フェニキア人の流れなのであって、アラブ人とは何の関係もない。
アラブ人にとっても、パレスチナ人はしょせん外国人なのである。
現に、アラブの盟主国であるサウジアラビアでは、パレスチナ人は外国人労働者として扱われている。
大戦後、豊かな産油国となったサウジアラビアでは、イギリス人がトップマネージメントを任せられる外国人労働者であるのに対して、パレスチナ人はミドルマネージメントを任せられて、更にその下の肉体労働者としてパキスタン人、朝鮮人が使われている。
アラビア半島を支配していたオスマントルコ帝国からサウジアラビアを独立させてくれた“アラビアのロレンス”こと、トーマス・エドワード・ロレンスがイギリス人であったことが、その後のサウジアラビアの近代化とイギリスが密接な関係へと発展していった背景にあるからだ。
そして、イギリス人のルーツがノルマン人という北海の海賊であったのに対して、パレスナ人のルーツがペリシテ人という地中海の海賊であった共通点が、イギリス人をしてパレスチナ人を重用するきっかけとなっていくのであり、インドから独立させイスラム教国家パキスタンという新しい国をつくったのが、これまたイギリスであったから、イギリス・パレスチナ・パキスタンという構図ができあがっていたのである。
嘗て、朝鮮人労働者とパキスタン人労働者との争いから、朝鮮人がパキスタン人を殺して食う事件がサウジアラビアで起ったとき、朝鮮人労働者が追放された事情には、こういった背景が隠されているのだ。
一方、数次に亘る中東戦争を惹き起こしたアラブ連合の盟主はエジプトであり、アラブ連合の指導者はエジプト初代大統領ガマル・アブダル・ナセルだった。
サウジアラビアは金銭面のパトロンにはなり得ても、アラブ連合の盟主にはなり得なかったが、ナセルの急死によって二代目大統領になったサダトの急激な政策変更は、周辺アラブ諸国の反撥を惹き起こし、結果、サダトが暗殺され、エジプトのアラブ連合での地位は急激に落ち、代わってサウジアラビアがアラブの盟主となっていった当時の背景の変化の象徴であった。
エジプトの首都カイロに到着した一哉が、最初の洗礼を受けたのは入出国審査だった。
22才の日本人がツアーの団体客ではなく、単身で入国するだけで、連合赤軍のメンバーではないかと疑われる当時の状況があった。
イスラエルのテルアビブ空港での乱射事件を、日本の連合赤軍が惹き起こして以来、中東諸国では厳重な警戒体制が敷かれていたからである。
同じ飛行機で到着した連中に次から次と入国許可のビザを発行される中、一哉ひとりだけが待たされた。
最後の到着客が入国許可を受けて通関へ進み、入出国審査ホールには、一哉だけがポツンとひとり残されたが、一哉は動じず、じっと我慢をしていた。
“郷に入っては郷に従え”の格言通りにしたのである。
母親の末野が一哉に与えた唯一の餞別が奏功したのだ。
「困った時には、これを読みなさい・・・」
それは日本語のことわざ辞典だった。
20時間を超える飛行時間を利用して一気に読んだ中に、“郷に入っては郷に従え”ということわざがあったからである。
“人はどこに住んでも、その土地の風俗や習慣に従った方がいい。
新しい環境に移ったら、それに従うのが世渡り上手だということで、人の踊る時は踊れ”と書いてあったのだ。
中東諸国の大半はイスラム教国家であり、開祖マホメットがアラーの神のお告げを音写した『コーラン』を絶対視する世界である。
『コーラン』のエッセンスは大きく三つあり、一般には“IBM”と云われている。
“I”は“インシャラー”の“I”で、『アラーの神の思し召すままに・・・』という意味で、異教徒との間で交わした約束事でも、アラーの神が守らなくてもよいと思し召すなら、イスラム教徒は平気で約束を破ってもいいのである。
“B”は“ボックラ”の“B”で、『また明日』という意味で、婉曲的な断りを意味している。
日本でも、やわらかく断りたい場合には、“また明日ね”と表現する。
古い伝統を重んじる古都京都では、長居する客を婉曲的に追い返すときに、“ぶぶずけでもどうどすか?”と表現する慣習がある。
お茶づけをご馳走になると喜ぶような客は、古都京都では歓迎されないのである。
それだけ、アラブの世界も伝統を守っている証だ。
“M”は“マレーシュ”の“M”で、『気にしないで・・・』という意味だが、一般的には『気にしないで・・・』という言葉は、迷惑をかけられた方が、迷惑をかけた方に云う言葉なのだが、イスラム教世界では逆で、迷惑をかけた方が、迷惑をかけられた方に云う言葉なのである。
否定的に云えば、イスラム教以外の世界の常識はまったく通用しない世界なのであり、肯定的に捉えれば、義理人情の世界であり、1200年の京(みやこ)の伝統の重さを持つ古都京都と、明治以降、西の京に対して東の京として誕生した高々200年足らずの東京との違いと同じ様相を呈しているのだ。
「竹園一哉君!」
ひげをはやした大男がホール内に響きわたるような大声で叫んだ。
ホールには一哉ひとりしかいないのだから、わざわざ大声で叫ぶ必要がないのだが、これもまたイスラム世界のやり方なのであろう。
「わたしです!」
一哉も、“郷に入っては郷に従え”通り大声で返事した。
「ニ、三、質問があるから、奥の事務所に行きなさい」
“ニタッ”と笑った大男が云う。
大男の言葉遣いと雰囲気から、一哉の野生が何かを読み取った。
『これで大丈夫だ”!』
予想通り、連合赤軍のチェックのための質問であったが、一哉に対する疑惑はほとんど持たれず、友好裡に入国許可書を発行してくれたのである。
パスポートを一哉に手渡してくれた例の大男が、微笑ながら最後に云った言葉は、その後の中東諸国の旅に大いに役立つことになった。
「大声の「わたしです!」が好かったよ!」
中東諸国では、何でも大きいことが好いらしい。
物の価値から女性の美的基準まで、軽薄短小に価値を見出す現代欧米社会や日本とは大きく違っていて、何事にも重厚長大が尊ばれる社会なのである。
持ち運びが楽なコンパクトで尚且つ性能が好い品物は確かにコスト的には有利であり、供給者側の利益に貢献するが、頑丈でない分、製品寿命が短いという需要者側にとっては極めて不利に働くわけで、欧米や日本といった先進社会は供給者に有利な社会体制が敷かれているのに対して、イスラム社会は需要者に有利な慣習が徹底しているのは、やはり、“コーラン”の教えを守っているからだ。
作家あがりの政治家が、国際テロ集団アルカイダを擁護しているアフガニスタンのタリバンの慣習が男尊女卑だと糾弾していたが、イスラム社会の実体は逆で、弱い者を徹底的に救済する社会なのである。
晴れて入国を許された一哉が、次に洗礼を受けたのが、弱い者を救済するイスラム社会の慣習によってだった。
カイロ国際空港の外に出た一哉に、老婆が突然近づいてきて、手を出して物乞いをしたのである。
「バクシーシ!バクシーシ!」
「お金をめぐんで頂戴!」と言っているのだ。
一哉は咄嗟に反応した。
「ノー!ノー!」
ところが一哉の反応に老婆は激怒しているではないか。
そこへひげもじゃの男が突然やってきて一哉に意見を言い出したのである。
「この国では、貧しい者が『バクシーシ!』と言えば、必ず施しをしなければならないのだよ!」
「それをノー!と言っては恥をかくだけで、この国では生きていけない・・・」
“郷に入っては郷に従え”
そのとき、一哉は心の中で、母親の末野に手を合わせていたのである。
イスラム教の教典であるコーランで、男子は4人の嫁を持つことができると教えていることを以って、イスラム世界は男尊女卑の社会だと断言するのは早計だ。
厳しい砂漠の中で生きていく環境に放り投げられた彼らと、水と緑に囲まれ溢れるばかりの植物の恩恵を受けて生きている日本人とでは、生き方の信条もおのずから違ってくる。
水一滴のために部族間の争いを繰り返している彼らは、まさに、自然社会におけるオスの役目である外敵との戦いに明け暮れている結果、男性の数と女性の数の極端なアンバランスが生じた。
女性ひとり一人に一人づつの男性が宛てがわれないのである。
だから仕方なく、一人の男性が四人までの女性の面倒を見なければならないことになったわけだ。
コーランのこの教えは、男尊女卑どころか、女性救済策の一環だったのである。
逆に言えば、人間社会だけにある一夫一婦結婚制度に物理的にも、精神的にも根本的な問題が潜んでいることを、この制度は指摘していることにもなるわけだ。
男女の恋愛の中で嫉妬心が湧き上がることを当然のように思っていることが、実は大いなる錯覚であることをも指摘しているのである。
人間社会生活の根幹を揺るがす指摘でもある。
7才まで野性のままで育てられた一哉は野生の本分を持ち併せていたが、何分、22才という経験不足は否めない。
自然社会の動物が本能的野性を持っていても、狩りの経験や危険を避ける術はまだ持ち併せていないのは、知ることには、本能知と後天知の二つがあるからで、一哉のこれからの課題は、如何に後天知を磨くかにある。
本能的野性を持っている自然社会の生きものでも、後天知に欠けているものは生き残れないのが、弱肉強食により自然淘汰される世界なのだ。
中東諸国の大半がイスラム教国家であり、日本が追従している欧米キリスト教諸国の常識とはまるで正反対の慣習によって、一哉は先ず洗礼を受けたのである。
『何が常識で、何が非常識なのか、それは国によっても、社会によっても、会社によっても、家族によってもみんな違うらしい・・・』
野生を維持しながらも、人間社会の常識にも縛られる宿命を背負った一哉にとって、最初に得た体験は、アフリカ大陸という自然の宝庫からの教えではなく、古代以来の文明社会の常識の二面性を知ったことであった。
『人間社会というのは、子供の頃から疑問はあったが、これほど支離滅裂な自己矛盾に満ちた世界だとは思いもしなかった・・・』
『どうやら、今までの人間社会の常識を見直してみる必要がありそうだ・・・』
『人間社会の常識を見直す旅になりそうだ・・・』
人類のルーツ発生の地、アフリカにその答えがあるだろうと、一哉はこの瞬間(とき)直感したのである。
エジプトと云えば、ギザのピラミッドだ。
ピラミッドは何もエジプトだけの十八番ではない。世界到る処にピラミッドはある。
ピラミッドとは一体何を象徴しているのだろうか。
ピラミッド型組織という言葉がある。ヒエラルキー型組織という言い方もあるように、階級型組織のことであって、元来、組織は必ずピラミッド型になるわけだ。
頂点に一人がいて、その下に複数の人間で構成される階級が何段にもわたってあって、最下層に圧倒的多数の人間が配置されるのが、ピラミッド型組織なのである。
まさに、男性社会の象徴であり、差別・不条理・戦争の元凶でもある。
ファラオと奴隷。
王と民。
皇帝と人民。
天皇と国民。
畢竟、支配者と被支配者の二層社会に他ならなわけであり、支配者側が磐石の体制を堅持するために編み出されたのが、世襲・相続という人類史上最も卑劣な差別制度であり、こういった制度、慣習を支えるのが、ピラミッド型組織なのである。
世界中到る処にあるピラミッドは、人間社会の歴史が男性社会の歴史であったことを象徴している。
多少でも野生を持ち併せている人間なら、男性社会であった人間社会の歴史の中で維持されてきた世襲・相続という卑劣な制度に疑問を抱かずにはおれないだろう。
一哉は、念願のギザのピラミッドを見学したのだが、その規模の大きさに感動したと同時に、今から数千年前にこれだけの建造物を一体どのようにして造られたのかに想いを馳せると、人間の醜さが、まさに、ピラミッドの形として顕れているような気がするのであった。
ピラミッドを構成しているひとつ一つの石の大きさは、遠くから見るのとは大違いで、四畳半の部屋ぐらいの石なのである。
『この石をひとつ一つ運ぶ奴隷はどれほどの犠牲を強いられたのだろうか?』
世界中に世界遺産という名の下に多くの人工建造物がある。
人間社会の支配者側にとってはまさに遺産なのだろうが、奴隷といった被支配者側にとっては苦悩の墓石としか見えないだろう。
だが、どこでどう間違ったのか、民であり、人民であり、国民であり、嘗ては、奴隷であった圧倒的多数の人間が、ピラミッドを見て感激しているのだ。
一哉はギザのピラミッドと対面することで、この矛盾に気づいたのである。