(終章)

シカゴのオヘアー空港に着いた一哉を一人の男が待ち受けていた。
U38番ゲートを出て、検疫を通過、入国検査の順番待ちをしていた一哉に、入国管理官の服装をした男が話しかけてきたのだ。
「竹園一哉さんですか?」
危険予知アンテナを擁している一哉は、その男がただの入国管理官でないことをすぐに察知したが、敢えて能天気な振舞いをしてみせた。
「ええ、そうです」
「リズ・テーラーさんがお待ちです」
「はい、わかりました」
一哉はニタッと微笑んで返事をしたが、内心では確信していた。
『彼女は自分をリズなどと絶対に言わないぞ!』
世間の小うるさいすずめどもは、「エリザベス・テーラー」のことを「リズ・テーラー」と愛称で言ってきたが、その表現を忌み嫌っていたことを、一哉だけには本人が告白していたからだ。
入国管理官の事務所に向かうべきはずの男が、まるで正反対の方向へ自分を案内しようとしていることを承知で、一哉は男の後をついて行った。
シカゴの空の玄関オヘアー空港はアメリカ国内最大のハブ空港で1分間に100便以上が離着陸するほど忙しい空港だが、それは飽くまで国内線便で、国際線においてはローカル色が強いだけに、国内線と違って閑散としている。
迷路のような方向感覚が失ってしまうぐらい、引き摺り回された挙句、ビルの外に出た男の前に黒塗りのリムジンが待ち受けていた。
自動ドアーが開き、中からエリザベスの笑顔が見えた時、やっと一哉の顔から緊張の表情が消えた。
エリザベスの顔を見た途端、ロンドンからの長旅の疲れも一挙に何処かに吹き飛んでしまったようだ。
「わざわざシカゴまで迎えに来てくださったのでしょうか?」
嬉しい反面、恐縮する一哉に、彼女は微笑で応えた。
二人を乗せたリムジンは国道94号線を南に下り、ロックフォードの町へ向かった。
シカゴは五大湖の一つであるミシガン湖畔の風が強い町だ。
アメリカのほとんどの保険会社がシカゴにある理由は、強風による火災が多い町だからである。
暗黒街の大統領と呼ばれたアルフォンソ・カポネがシカゴで台頭してきたきっかけは、火事請負を生業としたことからだ。
古くなったビルのオーナーは新しいビルに建て代えたいがお金がない。
そこで、誰かに頼んで火事を起こしてもらい、掛けておいた火災保険をまんまと頂いて晴れて新しいビルを建てる。
それに大いに手を貸したのがカポネだった。
だから、アメリカ政府、特に、国税局にとってはカポネは脱税の犯罪者だが、シカゴ市民にとっては恵みを与えてくれる英雄だった。
日本でも石川五右衛門は、時の為政者、豊臣秀吉にとっては盗人の犯罪者だが、京の民にとっては恵みを与えてくれる英雄だった。
石川五右衛門は義賊と呼ばれてきた。
賊は本来、義と言うわけだ。
既成概念では賊は不義のはずだ。
固定観念では賊は不義のはずだ。
旧約聖書最大の教えであるモーゼの十戒の一つ、“汝盗むなかれ”においても、賊は不義のはずだ。
ところが、
賊は本来、義と言うことになると、既成概念、固定観念は通用しないのが、本来性、つまり、本質ということになる。
人間社会の常識というものを一度悉く洗い直すことが必要な時期がやってきたようだ。
古代ギリシャにその端を発した学問という概念は、まさに、人間社会だけに存在するもので、自然社会では学問などしなくても、本能的に知る能力を具えて生まれ生きているのに、なぜ、人間社会だけにはわざわざ学ぶ必要があるのか、この根源問題にメスを入れない限り、人間はこれからもすべてを錯覚して生きてゆかなければならないだろう。
本能とは宇宙の法則に他ならない。
自然の掟と言ってもいいだろう。
宇宙の法則、自然の掟が、人間社会では法律になるから、話は複雑怪奇になる。
まさに、
旧約聖書のバベルの塔の話だ。
人類は最初、バベルの塔の周辺で暮らしていた。
アフリカ系黒人も、黄色モンゴロイドも、白色アーリア系もみんなバベルの塔の周辺で唯一の言葉を使っていたが、あまりにも争いが絶えないので、神は彼らを世界に散らせた。
その結果、
2500種類の民族と5000種類の言葉が生まれ、差別・不条理・戦争を繰り返すようになった。
文明社会1万2000年という人類の歴史がいま終焉を迎えようとしているのだ。
支配・被支配二層構造の人間社会がいままさに消滅しようとしているのだ。
一哉はその事実を確認するために再びアメリカにやって来た。
暗い夜が開ける直前が一番暗くなる。
夜明け前の真暗闇である。
オヘアー空港でエリザベスの顔を見た瞬間、一哉は一点の光明をついに見た。
暗くて長いトンネルを抜けるには自分の足下に自ら灯りを灯すしか道はない。
まさに、自家発電しなければならない。
自分の体の中で電気を起こさなければならないわけで、その電気は摩擦熱で起こすしかない。
体の中で摩擦熱を起こすには、心の葛藤(摩擦)をするしかない。
つまり、
自己否定をして、新たな考え方を生み続けることだ。
逆に言えば、
自己肯定している限り、成長などあり得ないのだ。
人類が幾許かの進化を遂げてこられたのは、自己否定してきたひと握りの数少ない人間が「軸の時代」に輩出したからである。
今から2、500年前の時代を中心に「第一の軸の時代」が登場し、多くの賢者が輩出した。
古代ギリシャではソクラテスとディオゲネス。
古代ペルシャではゾロアスター。
古代インドではマハビーラや釈迦。
古代中国では孔子や老子。
では、その頃の古代日本ではどうだったか?
公式の日本の歴史書である「日本書紀」では、ちょうど日本という国が建国された時期になる。
紀元前660年2月11日、初代神武天皇が即位した。
だがこんな歴史は真っ赤な嘘だ。
なぜこのような偽りの歴史を捏造する必要があったのか?
この疑問の解答がわかれば人間社会が逆さま社会である事実が判明するだろう。
日本の天皇家が類のない一族であると世界から認められている理由は、125代続いた系図があるからだが、もしもこの系図がでたらめであったらどうなる?
日本の天皇家の125代の系図が贋作であることは、世界の識者なら誰でも見抜いているはずだ。
こんな話がある。
明治天皇の父である孝明天皇の死は病死(天然痘)ではなく、毒殺されたという証拠を発見した京都大学のある学者が、歴史学の師である京都大学の教授にその事実を報告したら、その学者は京都大学から解雇された。
歴史学の大家と称せられている人間が、真実の歴史の隠蔽に加担しているのである。
識者(科学者)など国家権力の手先に過ぎないのである。
そして、
科学者がアヘンだと否定する宗教もまた国家権力の手先に過ぎないのである。
その証拠にチベット仏教の教祖ダライ・ラマに向かって“宗教はアヘンだ”と毒づいた毛沢東は結局の処、権力というアヘン中毒に陥ってしまった。
その結果、文化大革命などといった狂気じみた行動に走り、革命までの理想に燃えた若き毛沢東から権力の権化に転げ落ちた老いぼれた毛沢東の負の遺産になってしまった。
宗教と科学(共産主義思想)は同じ穴の狢であることに、毛沢東が気づいていたなら、文化大革命などといった狂気じみた行動に走らなかっただろう。
ところがこの毛沢東が日本の天皇制度を内心では認めていたのである。
その証拠がアメリカのシカゴにあることを、一哉はエリザベスから聞いたのである。
「一体その証拠はシカゴの何処にあるのですか?」
一哉の問いかけに微笑するだけで、エリザベスは車窓から冬のシカゴ郊外の風景を眺めていた。
オヘアー空港から国道94号線を北上していた二人を乗せたリムジンはシカゴのダウンタウンに入っていった。
オハイオ通りへの出口からステート通りに交差する所で、エリザベスは一哉に指さした。
「あそこがこれから行く場所よ」
一哉は吃驚した。
「あれはケネディー・ビルじゃないですか!」
第35代アメリカ合衆国大統領J・F・ケネディーの父親であるジョセフ・ケネディーが禁酒法時代にカナダのトロントと近いシカゴで酒の密輸入をして大儲けした金でつくったビルだ。
まさに、
名門ケネディー家も、暗黒街の大統領と云われたアル・カポネ顔負けのギャングだったのである。
ケネディー暗殺事件ほど謎に包まれたものは他にない。
リンカーン大統領の暗殺の動機は明白だった。
キング牧師の暗殺の動機も明白だった。
反対派勢力が明確だったからだ。
リンカーン大統領にとっての反対派勢力は南部アメリカ人だった。
キング牧師にとっての反対派勢力は白人アメリカ人だった。
ケネディー大統領にとっての反対派勢力とは一体誰だったのか?
大統領選挙に負けたリチャード・ニクソンか?
次の大統領を狙っていたフーバーFBI長官か?
どうやら、目に見えない敵がケネディーにはいたようだ。
目に見られないように自ら隠蔽する敵がいたようだ。
まさに、
彼らこそ、真の支配者であり、12、000年続いた文明社会を貫いてきた支配・被支配二層構造の人間社会の所以だった。
その結果、
人間社会だけに、世襲・相続制度という差別概念が生まれ、挙句の果てに、差別・不条理・戦争が繰り返される社会になってしまったのである。
一哉は今その震源地に辿り着こうとしていた。−「支配者たちの森」第一部完