(その二十六)

イギリスとアメリカの関係は奴隷社会の古代ローマ帝国の元老院とローマ市民の関係に酷似している。
いわゆる片務契約の関係であって、飽くまで、主従関係がはっきりしていて、イギリスが主人でアメリカは所詮下僕なのである。
イギリスと日本の関係は中世封建社会の従士制度の主人と家来の関係に酷似している。
いわゆる双務契約の関係であって、飽くまで、契約に基づく関係であり、いつでも、双方から契約破棄が為される。
260年の鎖国の歴史を解いた日本がはじめて戦争をした日清戦争、日露戦争がまさに、イギリスと日本の関係が双務契約に基づいていることの証である。
近代を悲惨な時代にした張本人は欧米列強帝国覇権主義であり、大航海時代の先鞭を切ったポルトガル・スペイン、すなわち、イベリア半島からオランダを経由して大英帝国に至って形成された史上最大の忌まわしいイデオロギーが、アフリカ大陸やアメリカ大陸だけに飽き足らず、自分たちと陸続きなっているユーラシア大陸の日の出ずる(asu)所にまで悪魔の触手を伸ばした挙句が、日本への侵略劇だった。
その先鞭を切ったのがペリーの黒船来航劇だ。
アメリカがイギリスの斥候として先ず日本に迫ったのである。
アメリカがイギリスの下僕であることは、歴代のアメリカ大統領が引退後、イギリスのビクトリア王朝からサー(Sir)の称号を授与されていることがその証明だ。
大英帝国と呼ばれたイギリスだが、アメリカを大米帝国とは誰も呼ばない。
パクス・ロマーナこそ人類の文明の歴史の中の第一ページ、すなわち、文明の第一の波を生成させた古代ローマ帝国の尊称であり、パクス・ブリタニカこそ人類の文明の歴史の中の第二ページ、すなわち、文明の第二の波を生成させた近代ローマ帝国の尊称であったのに対して、人類の文明の歴史の中の第三ページ、すなわち、文明の第三の波を生成させた現代ローマ帝国として尊称されるべきパクス・アメリカーナのアメリカがなぜ大米帝国と呼ばれないのか?
大帝国は大英帝国だけで十分だからだ。
アメリカはしょせんイギリスの下僕に過ぎない証明である。
畢竟、
支配・被支配二層構造の世襲・相続の差別社会から人類が脱却するにおいて、イギリスのビクトリア王朝が鍵を握っているのだ。
そして、その背景には、オーストリアのハプスブルグ家との相克の行方に掛かっているのである。
日本の天皇家も明治維新のどさくさに紛れて、ビクトリア家やハプスブルグ家と気脈を通じていた節がある。
その中継ぎ役をしていたのが岩倉具視であるから、複雑怪奇な伏魔殿に迷い込むのは致し方ない。
なぜなら、
ニセモノの明治天皇を仕上げるために、ホンモノの明治天皇を毒殺した張本人が岩倉具視に他ならないからだ。
岩倉具視こそ日本を欧米列強帝国主義社会へ売り飛ばした日本の売国奴第一号だ。
そして、
岩倉具視と与することによって自身の栄華を実現するために、同朋の西郷吉之助を裏切った大久保利通が日本の売国奴第二号だ。
そして、
岩倉具視の奴隷として孝明天皇と睦仁親王を毒殺した伊藤博文が日本の売国奴第三号だ。
この日本の売国奴第一号から第三号までの悪党の上に乗った(下に傅いた)人間が第百二十二代明治天皇だ。
日本のみならず世界、すなわち、人間社会だけにある王と奴隷の関係は、本来自分たちもいた自然社会から学習する能力を失ったときから構築された慣習であり、延いては、現代社会でも何の疑問も持たれずに守られてきた世襲・相続制度である。
こんな矛盾に満ちた慣習などそもそも自然社会には一切存在しない。
一見ボスに見えるオスだが、本当のボス(リーダー)はメスであり、メスの最大のテーマは強い子孫を産むことであり、そのために、強い精子を求め、そのためには、オスを取り替えることに何の躊躇もない。
言い換えれば、メス社会では世襲・相続の慣習など百害あって一利もないのである。
世襲・相続の慣習などに従えば、その種は間違いなく滅びることをメスは本能的に知っているのだ。
だから、
自然社会の生きものたちは世襲・相続など決して受け入れないのだ。
人間社会ではその始まりからして男性社会になったため、爾来、世襲・相続の慣習に何の疑問も持たずに現代社会までやってきたから、世襲・相続の考え方を女性がまったく持ち併せていないことすら忘却してしまっている。
男性の改革よりも女性の改革の方が第一要件のようだ。
一哉はヨーロッパの歴史に触れてみて、はじめて真理の一瞥を見たようだった。
どうやら、人間が築きあげた文明とは、不完全な知性の産物に他ならず、言い換えれば、一番低いレベルの知性が生み出した社会であり、更にその上には、11層で成り立っている社会が潜んでいたのである。
更なる11層構造の社会の踏破なくして、支配・被支配二層構造の差別社会を超えることはできないわけで、旅はまだまだ緒についたばかりである。
嘗て、聖徳太子が冠位十二階という概念を編み出した。
徳・仁・礼・信・義・智を大小で区分けした十二段階の位を象徴し、紫・赤・青・黄・白・黒の濃淡で区別した。
まさに、
聖徳太子が宇宙論を持っていたことの証だ。
兵庫県加古川にある鵤寺には聖徳太子時代からあった地球儀が今でも保存されている。
聖徳太子が謎多き人物であることは有名な話だが、最たる根拠が聖徳太子の宇宙論にある。
ところが、
兵庫県加古川の鵤寺にある地球儀とまったく同じものが、大英博物館にあった。
一哉はエリザベスに連絡を取った。
エリザベスの知名度が奏功して、一哉は大英博物館門外不出の地球儀を確認することができた。
そこには説明書の件があった。
“There were two globes made and another one was transferred into the hand of Japanese Prince 1500 years ago"