(その二十三)

一番深い支配者の森はグレート・ブリテン島にあるだろう。
近代社会になって大帝国をはじめて構築した場所だ。
大航海時代はポルトガル、スペイン、オランダなどが尖兵を切ったが、第一次産業革命における蒸気機関の発明によって国威をつけたイギリスが、最終的には大英帝国を築き上げた。
近代社会の幕開けであった。
近代社会の三種の神器であるルネッサンス、宗教改革、産業革命の中で、ルネッサンス、宗教改革で遅れを取ったイギリスだったが、蒸気機関の発明により一気に勢いづいたイギリスの産業革命はフランス、ドイツ、イタリアなど他の追随を許さない圧倒的なものだった。
まさに、
古代ローマ帝国以来の大帝国は、分裂した西ローマ帝国でも東ローマ帝国でも神聖ローマ帝国でもオスマン・トルコ帝国でもなく大英帝国に他ならなかったのである。
イギリス延いてはアメリカが、他の西欧諸国、すなわち、大陸ヨーロッパ諸国と一線を画する立場を強調してきた所以は、“我々(イギリス・アメリカ)こそ古代ローマ帝国を再現でき得る国家である”という自負心にあった。
表向きには冷戦に勝利したアメリカが強力な軍事力にモノを言わせた国家であることは、まさに、カルタゴを破った以後のローマ帝国と酷似している。
だが、
イギリスから独立を勝ち得た頃のアメリカには、古代ローマ帝国に対する郷愁など微塵もなかったし、第一次世界大戦までその考え方は変わらなかった。
モンロー主義、すなわち、日本の江戸時代の鎖国主義と同じ立場を第一次世界大戦の終戦間近まで維持してきたアメリカが突然ヨーロッパ戦線に軍隊を派遣することを決定した。
その瞬間(とき)からアメリカもイギリスと同じ深い支配者たちの森に迷い込んだのである。
アメリカの原風景はやはりグレート・ブリテン島にあり、メキシコ湾流を共通項にした風土という点では、ニューヨークにその原風景が残っている。
大西洋文明はメキシコ湾流の恩恵によって成立したと言っても過言ではないだろう。
古代エジプト文明はナイル川の恩恵により、メソポタミア文明はチグリス川とユーフラテス川の恩恵であり、インダス文明はインダス川の恩恵であり、古代中国文明は黄河の恩恵であったように、西洋文明はまさに大西洋の恩恵によるところ大であり、中でもメキシコ湾流が北半球を縦断しているため、太平洋における同じ緯度の場所でも、遥かに温暖な気候に恵まれていた。
ロンドンの緯度は北海道北部と変わらないのに、気候は東京と変わらないし、ニューヨークの緯度は青森と同じだ。
古代、中世では南欧と中東地域が先進地域で、僻地に過ぎなかった西欧社会が近代に入って先進国になり得たのは、一重にメキシコ湾流という暖流がこの地域を流れていたからである。
オランダ人が先に入植した結果、ニュー・アムステルダムと呼ばれていた場所を、敢えて、ニューヨークとしたのは、やはり、ニュー・ヨークシャーからであることは明白である。
大英帝国を語る上で欠かすことのできないのが、イングランドとスコットランド、ウェールズ、アイルランドとの関係であろう。
一哉はエリザベスからスコットランドをイングランドから独立させたウィリアムス・ウォーレスの話を訊いて感動した。
まさに、イエス・キリストと同じ体験をしていた勇者だった。
「ウィリアムス・ウォーレスは花嫁に対する愛のために戦ったのよ!」
「イエス・キリストもマグダラのマリアに対する愛のために戦ったのよ!」
「愛とはそんなものなのね・・・」
バイオレット色という不思議な瞳を輝かせて彼女は一哉に言った。
「イングランドの王は、スコットランド人の結婚直後の新婦の初夜権をイングランドの貴族に与えるというひどい法律を定めたの・・・・」
「ところが、ウィリアムス・ウォーレスの花嫁はそれを拒否したため、喉を掻き切られて殺された・・・ひどいでしょう?」
男性社会の典型が大英帝国の前身であるイングランドにあり、イングランドのアンチ・テーゼの立場に置かれたスコットランドを筆頭にウェールズやアイルランドは、女性社会こそ自然に則した社会であると信じてきた。
イングランドの王が制定した「初夜権」がまさに男性社会の本質を露呈していたのである。
初夜とは女性の純潔性を犯される儀式に他ならない。
言い換えれば、
”男性に犯されるのが女性の本質である”
男性社会の本質がここにある。
そして、
差別・不条理・戦争を繰り返す社会こそ男性社会である所以がここにある。
ところが、
21世紀に入って、特に先進社会から変化が起きはじめた。
男性と女性の逆転現象が起きはじめたのである。
まさに、
男性が女性に犯される社会になってきたのだ。
では、
男性が女性に犯される社会こそ女性社会到来の予兆だと言うのだろうか?
まさか、
女性による初夜権の行使が為される時代がやってくると言うのだろうか?
だが、
その事態はイギリスという国で既に起こっていたのである。
歴史は皮肉だ。
支配者による被支配者の新婦に対する初夜権の行使が為されるという卑劣な慣習をつくったのもイギリスなら、支配者による被支配者の新郎に対する初夜権の行使が為されるという醜悪な慣習をつくったのもイギリスという国だったのである。
アメリカという国は、まさに、イギリスという国の文字通りの申し子だった。
アメリカ合衆国というだけに、世界のありとあらゆる人種の坩堝と化したような国に一見思われるが、実は、アングロサクソンの国なのである。
アメリカの特権階級をエスタブリッシュメントと呼ぶ一方で、WASPと他方呼ばれる所以がここにある。
WASPとは(White、Anglo‐Saxon、Protestant)の略だ。
そういう意味では、19世紀と20世紀の世界はアングロサクソンの時代であったと言えるわけだ。
言い換えれば、
人種差別意識のルーツはアングロサクソンにあったと言える。
逆に言えば、
古代ローマ帝国時代にラテン人から野蛮人だと差別を受けたゲルマン人には人種差別意識は希薄だと言える。
ラテン系の中でも特にアングロサクソンにその意識が強い。
その理由は、アーリア系ゲルマンに白人のルーツがあり、且つ、西洋社会の依り処としてのイエス・キリストのルーツであることに対する劣等意識の反動に他ならない。
差別の根本的原因は、差別されることに対する反動(アンチテーゼ)にあることを、21世紀の人類は肝に銘ずるべきだ。
やはり、
支配・被支配二層構造の本質は、支配する者が支配される者で、支配される者が支配するものであるという構図にある。
この真理に気がついた瞬間(とき)、人類は人間は支配・被支配二層構造社会が無意味であることを理解する。
その瞬間(時)、支配者たちの森は被支配者たちの森と化す。