(その二十二)

テヘランからゾロアスター教の聖地ヤズドに向かった一哉を思いがけない人間が待っていた。
シラズで出逢ったハリウッド・スターのエリザベス・テーラーだった。
彼女は嘗て「ジャイアンツ」という映画で共演したジェームス・ディーンの面影を一哉にラップさせていた。
「理由なき反抗」で共演したジェームス・ディーンの面影を追い続けたナタリー・ウッドは42才で世を去った。
そして、24才の若さで世を去った当のジェームス・ディーンはピア・アンジェリという二流女優に肘鉄砲を食らってやけ糞になり自動車事故で敢えなく散った。
事の仔細を悉に見ていたエリザベスは「ジャイアンツ」で共演した二枚目俳優として売り出し中の巨漢俳優ロック・ハドソンに相談した。
ロック・ハドソンは「ジャイアンツ」でのジェームス・ディーンの圧倒的な演技力に同じ俳優ながら憧れすら持っていただけに、彼もジェームス・ディーンの死を惜しんだ。
一見、ハリウッド・スターのゴシップ記事レベルのように思える一連の出来事の背景に恐るべき謀略が潜んでいたことを、一哉はエリザベスから告白されるのである。
「戦前戦後の世界の映画界が大きく変わろうとしていたのが、1960年代だったの・・・」
エリザベスが一哉を意識しはじめたきっかけがあった。
まだ、20代の彼が、1960年代の世界の映画界に精通していたからだ。
高校生の3年間に一哉は洋画を2000本近く観ていた結果、映画評論家も足下に及ばないほどの知識を持っていた。
そんな彼だが、エリザベス・テーラー主演の映画はほとんで観ていなかった。
美空ひばりとの関わりにおいても同じことが言えた。
「貴方は、わたしの映画をほとんど観てくれなかったのね?」
「いえ、『クレオパトラ』は観ましたが・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「だから、わたしを嫌いになったのでしょう?」
その頃、エリザベス・テーラーはハリウッドの女王と呼ばれ、俳優史上初の百万ドルの出演料を映画「クレオパトラ」で得ていた。
一方、
日本では、美空ひばりも歌の女王と呼ばれ、他の追随を許さなかった。
男性社会の極みの中で女王と呼ばれることは奇跡としか言いようがなかった。
ハリウッドのキングと呼ばれたクラーク・ゲ‐ブルでも最高の出演料は10万ドルにも満たなかった時代にである。
そんな彼女が一番気に入っていた映画は他にあった。
「『バターフィールド8』や『いそしぎ』を観てほしかったわ!』
「そうすれば、リチャード・バートンとの関係を理解できたはずよ・・・」
エリザベスのこの話で、一哉のエリザベスに対する胸襟が開けた。
「なぜ貴方がリチャード・バートンと恋に落ちたのか理解できませんでした・・・正直言って、同じ男としてもリチャード・バートンには魅力など微塵にも感じませんが・・・」
一哉のこの言葉にエリザベスは感動して20才以上も若い一哉に恋をしたのである。
『そこまで見抜いていた人は今まで誰もいなかったわ・・・』
エリザベスは内心びっくりした。
「じゃあ、よけい『いそしぎ』を観てほしかったわ!」
洋画に詳しい一哉だけに、『いそしぎ』も『バターフィールド8』も映画のタイトルはよく知っていたが、高校生の時代にはまったく関心が湧かなかった。
ただ、『いそしぎ』の主題曲『The shadow of your smile』は大ヒットしただけに、印象には深く残っていた。
エリザベスは映画『いそしぎ』と『バターフィールド8』のビデオテープをいつも携帯していたのである。
そして、言うまでもなく、一哉は『いそしぎ』の方を選んだ。
なぜなら、『いそしぎ』には、『クレオパトラ』で共演したリチャード・バートンが出演していたからだ。
一哉は、もう一度、リチャード・バートンを値踏みしたかったのである。
リチャード・バートンという俳優は名優らしいが、およそハンサムとは言い難いし、イギリス人にしてはそれほど背丈もなく、頭が大きくてバランスの悪い男性だという印象が一哉には強くあった。
彼が小学性の時に兄に連れられて「アレキサンダー大王」という映画を観に行ったことがある。
その映画での主人公アレキサンダーをリチャード・バートンが演じていたのだが、その時から印象がよくなかったのである。
子供心の中での印象だけに、然したる理由もない、ただ漠然とした印象だったが、こういった印象の方がインパクトは大きいものだ。
エリザベス・テーラーとリチャード・バートンの二回にわたる結婚という茶番劇の正体を一哉ははじめて聞いた。
その接点はイギリスという国にあった。
エリザベス・テーラーもリチャード・バートンと同じイギリス出身だが、彼女の両親は元々アメリカ人だった。
第二次世界大戦で戦禍のロンドンを離れてアメリカに戻ったのがきっかけで、ハリウッドの映画界に幼少にして飛び込んだ。
バイオレット色の彼女の瞳はどう考えても、アーリア系白人から生まれようがなかった。
その理由は白人系人種の生理学的劣等性にあった。
白い肌の原因は白子が原因であって病的であることは明白であり、白子からバイオレット色の瞳が誕生することは不可能だ。
彼女が晩年に公民権運動に積極的に参加しだしたのは、イランへの旅以降だったのは、自分の血の真のルーツを知ったからである。
「白人がなぜ他の有色民族を蔑視し、自分たちの優位性を主張するのか、自分には解せません・・・」
「色素欠乏症という白子に対する劣等感の反動としか思えません!」
一哉のこの言葉に彼女は突き動かされたのである。
ハリウッドのトップスターにも拘わらず、彼女の髪の色、瞳の色は、白人のものではないことを薄々感じていた他のスターたちの目がいやに気になっていたのである。
一哉の白人白子病理説は彼女を感激させたと同時に、彼女のこれまでの日本観を一変させた。
「日本という国が東洋の国でありながら、西洋の国からも一目置かれるようになったのは、『Nobunaga』という傑出した英雄がいたからなのね・・・」
一哉が一番尊敬する歴史上の人物としての織田信長の話を聞いたエリザベスは一層感動した。
そして、その後の一哉の人生にエリザベスは深く関わっていくのである。
いよいよ支配者たちが渦巻く深い森に一哉はエリザベスと共に入ってゆくのであった。