(その十四)

アデンの町に入った一哉は思わぬものと巡り会うことになる。
延いては、その後に控えるイランへの旅の中での思わぬ人物との出逢いが待っている。
宛てもない旅に出るときは人は不安に駆られるが、それでも旅に出たいと渇望する原動力は一体何処から湧き上がってくるのだろう。


あなたの後ろ姿に そっと別れをつげてみれば

あなたの髪のあたりに ぽっと明かりがさしたような

裏の木戸をあけて 一人夜に出れば

灯りの消えた街角 足も重くなるけれど

僕の遠いあこがれ 遠い旅は捨てられない

許してくれるだろうか 僕のわかいわがままを

解ってくれるだろうか 僕のはるかなるさまよいを

裏の木戸をあけて いつかつかれ果てて

あなたの甘い胸元へ きっともどりつくだろう

僕の遠いあこがれ 遠い旅の終わるときに 帰るその日までに

僕の胸の中に語りきれない実りが たとえあなたに見えなくとも

僕の遠いあこがれ 遠い旅は捨てられない


若さとは、自己証明に対する渇望に他ならない。
母親の胎内から生まれ落ちて以来、先ず、母親に、次に両親に、そして、社会に依存して生きてきた完全依存人間が若者に他ならず、いつか何処かで独立しなければ、自己の存在証明が永久に出来なくなる。
そのために、若者は遠い旅に出たがる。
ただし、心ある若者だけの話だ。
そして、いくら心ある若者であっても、生まれて以来完全依存症だった自分だから、独りで旅立つ時は足が重くなってすくむのは当然である。
若者が旅に憧れなくなったら、その国は確実に滅びるか少なくとも衰退の一途を辿る。
明治維新(Meiji Restoration)が明治革命(Meiji Revolution)ではなく明治維新(Meiji Restration)になり得たのは、当時の日本の中に世界への旅に憧れた純粋な若者がいたからだ。
純粋な若者とはこの詩のような境地を言い、ただの若者にはこの資質は持ち併せていない。
若さだけでは若さの素晴らしさを享受することはできないのだ。
若さプラス勇気が要るのだ。
嘗て、20世紀の中頃には学生運動という代物が流行ったことがある。
まさに、流行だった。
流行を追いかけるのはミーハー族と決まっていて、ミーハー族は若さだけで生きていている臆病者に過ぎないのは古今東西変わりない。
そんな連中にはこんな詩はまるで理解できないだろう。

風の流れの 激しさに

告げる想いも 揺れ惑う

かたくなまでの ひとすじの道

愚か者だと 笑いますか

もう少し時が ゆるやかであったなら

雲の切れ間に 輝いて

空しい願い また浮ぶ

ひたすら夜を 飛ぶ流れ星

急ぐ命を 笑いますか

もう少し時が 優しさを投げたなら

愛しき日々の はかなさは

消え残る夢 青春の影

気まじめ過ぎた まっすぐな愛

不器用者と 笑いますか

もう少し時が たおやかに過ぎたなら

愛しき日々は ほろにがく

一人夕陽に 浮かべる涙

愛しき日々の はかなさは

消え残る夢 青春の影


若さだけで生きている臆病者のミーハー族にはこんな唄がちょうどいい。


いつか君と行った映画がまた来る

授業を抜け出して二人で出かけた

哀しい場面では涙ぐんでた

素直な横顔が今も恋しい

雨に破れかけた街角のポスターに

過ぎ去った昔が鮮やかによみがえる

君もみるだろうか「いちご白書」を

二人だけのメモリー

どこかでもう一度


僕は無精ヒゲと髪をのばして

学生集会にも時々出かけた

就職が決まって髪を切ってきた時

もう若くないさと

君に言い訳したね

君もみるだろうか「いちご白書」を

二人だけのメモリー

どこかでもう一度


この二つの詩と唄の作者の違いは天と地ほどの差だ。
二十一世紀に入ってから、日本の青年男子は外国への旅を憧れるどころか、怯えるようになった。
もはやこの国のこれ以上の発展はないだろう。
2011年3月11日に日本を襲った大地震は、まさに、未来の人間社会出現の前触れに過ぎない。
太平洋戦争前後からの日本は世界の嫌われ者であった。
人類史上はじめて且つ唯一、原爆を落とされた日本なのに、侮辱されることはあっても、同情されるようなことは一つもなかった。
真珠湾奇襲攻撃をするような卑劣な人種だからである。
正規の宣戦布告をしておきながら、奇襲攻撃というつくり話を歴史的事実にされたのは、当時の駐ワシントンDC日本大使館の井口貞夫元事官や奥村勝蔵一等書記官の怠慢行為の所為なのに、彼らは二人ともその後、外務次官まで昇進するような国だから仕方がない。
売国奴でありながら、叙勲を与える日本という国を世界が軽蔑するのは当然だ。
明治維新にも功罪両面があるなら、帝国覇権植民地主義においてイギリス、延いてはアメリカに遅れを取ったドイツ、フランス、ロシアといった西欧社会が、遅れを取り戻すために編み出した啓蒙思想をそのまま採用した明治政府による官僚国家こそが罪的側面であり、大久保利通がその張本人であろう。
脅威的な経済成長を成し遂げても、嫌われ者の日本の立場は一向に変わらなかったし、1995年の阪神大震災の時でも、世界の日本に対する目は一向に変わらなかった。
ところがである。
2011年3月11日に起きた東日本大震災の後、世界は日本に友好的になった。
なぜだろうか?
日本の未来はもうないことを、世界は知ったからである。
その結果の同情だ。
その結果の憐れみだ。
辛辣な表現をすれば、人の弱みにつけ込んでいるだけである。
支援すると云いながら、戦艦を日本との国境に増強するロシア、中国は、まさに、虎視眈眈と日本を狙っているのだ。
19世紀の初頭には、世界の二大国であった中国とインドが、日沈む世界(ereb)のヨーロッパという僻地の小国であったイギリスに陵辱されたのも、人の弱みにつけ込まれた結果だ。
嘗て、易姓革命の国、中国でも風変わりな王朝が突然変異種のように誕生した。
宋王朝である。
嫌われ者の国、日本に酷似した王朝だったが、最後には弱みにつけ込まれて崩壊したように、日本という国の崩壊のシナリオが着実に書かれようとしている。
一哉の旅の中で最も示唆に富んだものが、アデンからマスカット・オマーン、アラブ首長国連邦の一つドバイを経由し、ペルシャ湾を渡って古代ペルシャの都シラズへの旅程だった。
アデンは昔から交易の町だった。
そして、シラズも昔から交易の町だった。
そして、その間にあるドバイも昔から交易の町だった。
海岸線シルクロードに沿った町なのである。
そして、シルクロードを往来する隊商は100%ユダヤ人である。
十代の頃の一哉がアメリカに行った時、「クレオパトラ」という映画が話題になっていたが、主役のヒロインを演じたエリザベス・テーラーという女優がシラズ出身であることを、今回の旅で知ることになる出逢いが目の前に迫っていた。
一哉が何処の町に行っても先ず訪ねる処がある。それが市場だ。
一般にはマーケットと言うし、ペルシャではバザールと言うし、アラブ世界ではスークだ。
そして、一哉が訪問したアデンのスークで先ず思わぬものに出くわしたのである。
唯一ヘブライ人だけが隊商として長大なシルクロードを市場(マーケット)として暗躍していただけに、シルクロードのルートにある交易の町に共通したものがある。
売買における交渉のルールだ。
まさに売買駆け引きこそが、シルクロードの世界で生き残る術なのである。
キリスト教とイスラム教が兄弟宗教でありながら、その世界観が正反対だ。
その一端を窺わせるのが、売買駆け引きにも如実に表われている。
イスラム教世界は掛け売りを基本とするのに、キリスト教世界は正規の値札売りを基本とする。
平たく言えば、掛け売りでは最終売買価格の3倍から交渉がはじまるの。
つまり、値札の30%が正札であり、それまでの間、値引き交渉が延々と為される。
それが、商売、すなわち、売買の神髄なのだ。
一方、正規の値札売りでは一切の値引き交渉は無い。
それでは、商売の神髄は永遠にわからない。
日本でも、関西商法は掛け売りを基本とするのに、関東商法は正規の値札売りを基本とする。
大阪が嘗て商いの都と言われた所以であるが、いまはその面影が微塵もないことに、大阪出身の一哉は長年疑問に思っていた。
アデンの町のスークで一哉は日本製の陶磁器を見つけた。
『なぜこんな処に日本の品物が売られているんだ?』
まさに、日本もシルクロードの一環に組み込まれていた証だ。
奈良の正倉院に中東諸国の品物が安置されている逆証明だ。
日本の国宝級、重要文化財が海外に流出する最大の原因は、戦争の敗北にあるが、それ以外の理由も多々ある。
日本人自身が海外へ持ち去るケースだ。
若者が海外へ持ち去るケースだ。
喜多川(北川)歌麿の浮世絵の大半が海外に流出した原因は、当の本人の仕業だったのである。
別に売国奴の行為ではない。
喜多川(北川)歌麿の浮世絵がアデンの町のスークで売られていた。
しかもただ同然の値段でだ。
ロンドンにある大英博物館にも日本の浮世絵があって、イギリスでも国宝扱いされているにも拘わらず、アデンではただ同然なのだ。
紀元前の昔からあるシルクロードはまるで世界の歴史の馬の背だ。
左側に目を向ければ西洋社会が鳥瞰でき、右側に鼻を向ければ東洋の香りがする。
まさにボスボラス海峡を挟んだ東洋と西洋のイスタンブールしか出来ない奇跡だ。
そのトルコと古来旧交の深かった国がイラン(ペルシャ)だ。
イランにはアルメニア人が多く住んでいるがアルメニア人とはトルコ人の正式名である。
ただ不思議なのは、トルコ人はイスラム教を信じているのに対して、イランに住むアルメニア人はキリスト教を信じている点だ。
一哉がイランに入ってはじめて気づいた点でもある。