(その十二)

二十一世紀に入って、世界はいよいよ新しい時代に突入したようだ。
だが、一哉は遥か20年前にアフリカから中東への旅でその前触れを察知することができたのである。
特に、旧約聖書の中の最も重要な出来事であった「出エジプト記」で、モーゼに引き連れられたヘブライ人たちが、神からの約束の地へ戻るために、敢えて陸続きの道程を選ばずに、紅海を渡りアラビア半島に再上陸するという冒険をしたように、一哉も紅海を渡ってアラビア半島の孤高の地イェーメンに入ったことが、新しい世界への第一幕に気づかせたのである。
イエス・キリストの半生を記述した新約聖書には一切述べられていないが、伝説としてのイエスの足跡はエジプトにもアラビア半島にもインド亜大陸にも残っている。
彼が民を説きはじめたのは30才の時であり、十字架に架けられたのが32才の時だから、高々2年間の偉大な物語である。
では生まれてから30才になるまでの間、いったい彼は何をしていたのだろうか?
アラビア半島の紅海側にあるサウジアラビアの商業都市ジェッダにも、イエスの足跡が残っており、そこに住むイスラム教徒のアラブ人もイエスの足跡が残っていることに誇りを持っている。
イスラム教世界でも、イエスは聖人なのである。
まさに、イエスとキリスト教とは違うのである。
まさに、モハメッドとイスラム教とは違うのである。
まさに、モーゼとユダヤ教とは違うのである。
まさに、仏教と釈迦とは違うのである。
イスラム教には四大『啓典』というものがあって、神からの啓示を受けた四大聖人の一人がイエス・キリストなのであり、イーサー(アラビア語でのイエス)に下された『インジール(福音書)』が四大『啓典』の一つなのである。
ホンモノは誰からも認められるものであって、一部の者しか認められないものはしょせんニセモノであり、公式歴史書の記述から見出すものは大抵ニセモノであり、ホンモノの歴史は伝説の中から見出すべきものなのである。
ホンモノの信仰とは万教同根なのであり、信仰がニセモノ大乗宗教になると戦争までするのは、大乗宗教とはまさに一部の者しか認めない者同士の軋轢、相克が背景にあるからだ。
“歴史は繰り返される”という格言があるが、言葉が一つ抜けているようだ。
“歴史は支配者によって繰り返される”が真実を言い当てた格言である。
意図的に(悪意で)歴史は繰り返されてきたのである。
人類が進化してこられたのは、蓄積されてきた過去を否定してきたからであり、過去を否定しないで人類の進化などあり得なかったわけで、逆に言えば、人類はもっと進化できたはずなのに、支配者による意図的な(悪意の)歴史の繰り返しによって、進化を遅らされてきたのである。
「ダーウィンの進化論」は、人類を意図的に(悪意で)歪んだ道へ踏み外させるための落とし穴だったのである。
一部の人間だけが進化するのであって、殆どの人間はまったく進化せず、猿のままでいるか、せいぜい、アダムとイブと同じエデンの園の門で呆然と立っている、とするのが、自然淘汰説の「ダーウィンの進化論」の本音だ。
だから、一般人のことを「ゴイム(畜生)」と蔑むのである。
弱肉強食の自然社会は一見、自然淘汰説が機能しているように見えるが、実はそうではなかったのだ。
人類が他の生きものにない知性を得ることができて以来、草食系動物という弱き生きものだった人類が、肉食系動物という強き生きものに変身したのは、完璧な知性を得るためであって、不完全な知性で停滞していたのでは、自然の摂理に反するのである。
まさに、不完全な知性ゆえに生まれたのが自然淘汰説なのだ。
そして、不完全な知性ゆえに生まれたのが選民思想なのに、選民思想を持つ民族は、自分たちを神の選んだ人種と思い込んでいる。
まさに、選民思想から生まれた発想なのだが、選民思想が生まれた背景には、宇宙進化論の捉え方の違いがあった。
これこそ、「ダーウィンの進化論」なのである。
逆説的に言えば、進化論の本義は宇宙進化論に根を置かなければならない所以だ。
選民思想を持つ人種の代表はユダヤ人であり、「大和民族」や「大和魂」と自画自賛する日本人にも選民思想がある。
神が選んだ民という、これほど傲慢な思想はないわけで、他の民族から嫌われる理由の根底にある思想だ。
選民思想を持つユダヤ人は2000年近く国を持てなかったから、原爆を落とされずに済んだが、選民思想を持つ大和民族なのに、東の果ての日本列島に守られていたゆえに、この2000年間、国家を持つことができた反対給付として、原爆を落とされたのである。
『この歴史的皮肉劇に気づく時代がやってきたのかもしれない・・・』と一哉は思った。
イェーメンに入った一哉は、この国の光景に度肝を抜かれた。
この国では、男はいまだに刀をさしているのである。
侍が依然刀をさしていた江戸幕末の日本で「生麦事件」が起こった。
薩摩藩主・島津久光の一行が横浜の生麦村を大名行列していた中に、馬に乗ったイギリス人が割り込み、無礼討ちに遭ったのである。
明治維新政府が行った新政策の中に「帯刀禁止令(通称廃刀令)」があったのは、この生麦事件がきっかけであった。
一哉がイェーメンに入った翌日の首都サヌアで同じような事件が起こった。
フランス人観光客が、一人のイェーメン女性をからかう事件が起きたのである。
まわりにいた数名のイェーメン男性が、8人いたフランス人観光客を斬り殺したのである。
フランス政府からイェーメン政府に抗議は一切なされなかった。
“郷に入っては郷に従え”の格言は世界共通の常識であることを、フランス政府は知っていたからだ。
欧米列強による植民地政策の当時者であったイギリスやフランスだからこそ、“郷に入っては郷に従え”の格言に通じていたのである。
大東亜共和圏構想を掲げて、アジアを欧米列強から守ろうとした戦前の日本は、“郷に入っては郷に従え”の格言に通じていなかったから、原爆を落とされても、アジア諸国はそんな日本に同情するどころか、敵意を持ち続けたのである。
ユーラシア大陸の日の沈む欧州(ereb)から興った欧米列強帝国覇権主義に翻弄されたのは、アフリカ大陸だけや南米大陸だけではなく、ユーラシア大陸の日の出るアジア(asu)もそうだったが、その中で日本だけが難を逃れることができたのは、「近代化」に目覚めたからであり、日本の近代化の目玉が「帯刀禁止令(通称廃刀令)」にあって、そのきっかけを与えたのは「生麦事件」であったのに対して、イェーメンではフランス人斬殺事件後も「帯刀禁止令(通称廃刀令)」なるものは一切施行されなかった。
日本とイェーメンの「近代化」に2世紀以上の時差がある所以だ。
日本と他のアジア諸国の「近代化」に2世紀以上の時差がある所以だ。
一哉はそのイェーメン刀をヨセフの実家から贈呈されたのだが、その刀が、一哉のその後の人生を左右する大事件を惹き起こすとは、その時点では、一哉のみなならず、ヨセフすら想像の外の話だった。
一哉は後で気づいたのだが、贈呈された刀には、フランス人の血糊がついていたのである。
日本刀とは違って、いわゆる、大きく曲がった蛮刀だから、鞘から抜くのがなかなか難しいのがイェーメン刀だ。
フランス人斬殺事件で騒がしくなった首都サヌアから抜け出すように、一哉はヨセフの生家のホデイダまで4時間の車の旅を楽しむことにした。
4時間の車の旅は、大学生最後の試験も終わり、卒業式には出ずアメリカに行くまでの休みの間にたった3日だけだったが、スキーを楽しみに行った日光へのドライブを一哉に思い起こさせた。
日光に行くには「いろは坂」という難所がある。
「いろはにほへとちりぬるをわかよたれそつねならむうゐのおくやまけふこえてあさきゆめみしゑひもせず」と47箇所の急な曲がり坂があることから、「いろは坂」と呼ばれていて、断崖絶壁の坂を、しかも、2月初旬という時期だから雪道になっていた。
学生時代を思い起こしてみれば、身震いするような危険を冒していることが再三あるが、まさに、その一つの出来事だった。
タイヤチェーンを装着しなければならない事態なのに、タイヤチェーンどころか車のタイヤが摺り減って、つるつるになっていたのである。
断崖絶壁を左右に見ながら、車が地すべりしてふらつく。
一哉は咄嗟の判断で、山側に車を寄せながらハンドルと戦う。
やっとの想いで47個の難所を超えたときは、思わず、ため息がでたが、それでも、九死一生の想いまで至らなかったのに、サヌアからホデイダへの下りの山道は、「いろは坂」が色あせるほどの恐怖の連続だった。
「あれは何ですか!?」
助手席に座っていた一哉が、運転するヨセフに向かって叫ぶと、何の躊躇もない答えが帰ってくる。
「崖からすべり落ちた車が、木の枝にぶら下がっているようだ」
「こんなことは日常茶飯事だよ」
先進社会では人の命は重いが、イェーメンでもそうだったが、その後行くことになるイランでも、一哉は人の命の軽さに驚かされるような事件が相次いだ。
日本では過失致死罪、つまり、殺人罪として糾弾されるような事件でも、人の命は高々10万円で処理されるのである。
『食う食われる自然社会がそうであるように、どうやら、人の命も軽いのが当たり前のようだ!』
『人間社会の常識ほど当てにならないものはなさそうだ!』
人間社会、特に先進社会では、人の命の重さをやたら重視する傾向がある。
人の命の重さを重視すればするほど、他の生きものの命はますます軽くなるらしい。
人類ほど節操なく他の生きものを食い散らかしている生きものは他にはいない。
死の概念を唯一持つ生きものゆえの宿命なのかもしれないが、ひとつ違えば、死の概念を唯一持つ生きものゆえの人の命の軽さになっていたかも知れない。
だから、人の命の重さをやたら重視する割には、他の生きものの命は軽んじるのであろうか?
人を殺すのは殺人罪になるのに、他の生きものを平気で殺すなら、他の生きもののように、殺す行為そのものを平気でできる方がずっとましである。
人間社会で反社会的と言われながらも、一般の人間から暴力団と呼ばれている連中が怖れられているのは、彼らが殺す行為そのものを平気でできるからだ。
人生におけるコツは、失うモノは一切持たないことに徹することだ。
金も名誉も地位も要らぬ人間ほど厄介な者はない。
勝海舟が西郷隆盛を称して言った言葉だ。
最後に命も要らぬと言った吉田松陰の方が更に厄介かもしれない。
あの大国中国やインドですら、欧米列強の餌食になり、近代化はごく最近になってはじまったのに対して、日本の近代化が19世紀に実現できたのは、失うモノは一切持たないことに徹した西郷隆盛や吉田松陰といった、明治維新による論功行賞の栄誉に浴さなかった人たちの力であったことを歴史は伝えなければならない。
イェーメンという国は世界に冠たる未開の地であるがゆえに、いまだに男性は刀を差し、無礼討ちも許される。
一哉は思った。
『今から100数十年前の日本も、世界から未開の国だと思われていたのだろうか?』
『一方、元禄時代に日本で生まれた芸術は世界に冠たるものとも云われているが、先進性と芸術性は無関係なのだろうか?』
『まさに、進化と豊かさとは無関係なのだろうか?』
一哉の人生の大きなテーマが誕生した瞬間であった。
先進性の正体は、差別にあった。
芸術性の正体は、平等にあった。
人間(ひと)の生き方は、基本的には2種類しかない。
ビジネス的生き方と、芸術的生き方の2種類しかない。
商売人にもビジネス的生き方と芸術的生き方の2種類あり、芸術家にもビジネス的生き方と芸術的生き方の2種類ある。
いわゆるホンモノとニセモノの2種類だ。
ビジネス的生き方をするものはみんなニセモノだ。
芸術的生き方をするものはみんなホンモノだ。
商売人だからニセモノ、芸術家だからホンモノと言うわけではない。
商売人にもホンモノとニセモノがおり、芸術家にもホンモノとニセモノがいるのである。
『この事実に気づく時代がやってきたのかもしれない・・・』と一哉は思った。
男は依然刀を差しているイェーメンが、二十一世紀に入って俄然変わろうとしている兆候を一哉は既に感じ取っていた。
『二十一世紀は、文明社会が瓦解する世紀になるのでは・・・?』
まさに、二十世紀になっても依然刀をさしているイェーメンで、文明社会を仰天させるような大事件が起ころうとしていることを予感していたのである。