DOCTYPE HTML PUBLIC "-//W3C//DTD HTML 4.0 Transitional//EN"> 錯覚から目覚めへ


新年を迎えるにあたって

気づきのないまま朝、目を覚まし、何気なく一日を過ごし、深まりゆく夜の静寂の中、無意識の眠りに耽け込む24時間の一日が365回過ぎると、また新しい一年のはじまりが訪れて、“あけましておめでとうございます”とお互いに挨拶を交わし、年賀状というシロモノまで届けあう。こんな戯言を高々80回程度続けるだけで、先伸ばしをしてきた死の恐怖と直面しなければならなくなる。
人間の一生の儚さを熟々思うのが、12月31日の大晦日から1月1日の元旦の狭間という365分の1の確率でやってくる人間の錯覚の人生である。
賽子の目が出る確率が6分の1と確信するには、賽を振る回数が1回で済むようなビギナーズラックの場合、6回掛かる並みの場合、60回も要する不運な場合、と千差万別の運不運を生むのがギャンブルなら、人間の一生もビギナーズラックの場合、並みの場合、不運な場合と千差万別な運不運、一端の科学者と自惚れる量子力学の専門家の大袈裟な表現を借りれば、不確定性と不確実性とが相俟った現象を呈するということになるが、平均寿命80年の人間であっても生まれてはじめての誕生日を迎えずして死ぬ赤ん坊の場合、平均寿命並みで死ぬ場合、白寿を祝うことができる場合と千差万別な運不運、数学と聞いただけで蕁麻疹を出す連中でも理解できるような表現に忖度することも可能なのである。
世界に70数億存在する現代人の社会を確率現象で捉える科学的手法から、賽子博打で捉える感覚的手法まで、錯覚の捉え方はすべて個人の主観に委ねるしかない。
12月31日の次は13月1日でもいいのに、十二進数の月暦と特殊30進数の日暦で以って、1月1日に戻って錯覚の円回帰運動を繰り返す。
まさに、二重の錯覚をしているのがわれわれ人間なのである。
2001年9月11日に起きたニューヨーク同時多発テロ事件の時、アメリカ人は、1945年8月6日と9日に原爆を投下された日本人と同じ感覚を持った。
2015年11月13日に起きたパリ同時多発テロ事件の時、フランス人は、1940年7月23日にヒットラーによってエッフェル塔をわがものにされたのと同じ感覚を持った。世界の20ヶ国の国家元首が集まって、テロと断固闘うと相も変わらず戯言を繰り返すが、未だに一度も平和な社会が実現したことがない人間とは一体如何なる生きものなのか。
まさに、二重の錯覚をしているのがわれわれ人間なのであり、この錯覚の円回帰運動を続ける限り、われわれ人間は全員、先伸ばしをしてきた死の恐怖と直面しなければならなくなるのは必定である。
365分の1の確率と捉えて新年を祝うことを延々何千年と続けてきたわれわれ錯覚人間だが、もうそろそろ目が覚めてもいい頃合いである。
何十回目かの1月1日を迎えるにあたって、錯覚人間から目覚めた人間に生まれ変わることを、ひとり一人宣言しようではないか。


2016年1月1日 新田論


第一章 生きる=仮死状態
第二章 本当の安心感
第三章 今日は今日の風が吹く
第四章 四苦八苦はニセモノの自分の幻想
第五章 ホンモノとニセモノ
第六章 錯覚の落とし穴
第七章 有るものは無く、無いものが在る
第八章 覚醒の不在概念が錯覚
第九章 運動(映像)=円回帰=渦の原理
第十章 空と無
第十一章 有無二元 & 空一元
第十二章 空三元
第十三章 目覚め一元から錯覚二元へ
第十四章 進化一元→進化・退化二元
第十五章 退化論こそ真理
第十六章 本音と建前
第十七章 本音=建前
第十八章 本音=束縛 & 建前=自由
第十九章 本音を受け入れることが大切
第二十章 善・悪から本音・建前へ
第二十一章 本音・建前二本から本音一本へ
第二十二章 本音・建前二元の功罪
第二十三章 必要悪の功罪
第二十四章 必要悪の限界効用説
第二十五章 限界効用説 V.S.相対性理論
第二十六章 近代西洋哲学の錯覚
第二十七章 二律背反という落とし穴
第二十八章 対立=補完
第二十九章 二律背反社会が差別・不条理・戦争を生む
第三十章 差別=区分け
第三十一章 自分=自我意識=区分け意識
第三十二章 自分=自我意識=映像の自分
第三十三章 映像の自分 対 実在の自分
第三十四章 肉体の眠り & 意識の眠り
第三十五章 眠りの意味(1)
第三十六章 眠りの意味(2)
第三十七章 眠りの真の意味
第三十八章 眠り=死
第三十九章 眠りの理解=死の理解
第四十章 古代ギリシャの常識
第四十一章 眠りは必要悪
第四十二章 必要悪の眠り→不要善の眠り
第四十三章 聖職者の定義
第四十四章 必要悪の退治
第四十五章 不要善のすすめ
第四十六章 不要善とは?の前に必要悪とは?
第四十七章 不要善とは?
第四十八章 必要・不要二元論
第四十九章 不要一元論
第五十章 無元論


おわりにあたって

万物の霊長としての人間。
だから、人間以外の生きものを畜生と蔑む。
一体誰がそんな不遜な考えを言い出したのか?
挙句の果てに、自分たち民族以外のものは、たとえ人間であっても家畜(ゴイム)と蔑む。
現に、太平洋戦争(日本側では大東亜戦争)真只中の日本では、イギリス人、アメリカ人、いわゆる、アングロサクソンを「英米鬼畜」と子供までが蔑んでいた。
ところが、占領されたら“Please give me chocolate” と遜る。
自尊心のかけらもないのが、本性の人間に違いないと思えて仕方ない。
もういい加減、錯覚から目覚めなければならない。


平成28年3月30日   新田 論