第八章  バグダッドへ

モハマッドとマンスールはリビア空軍基地に向かっていた。
モアマール・カダフィーリビア国家元首とサダム・フセインイラク大統領とがホットラインで話し合いをして決定したのだ。
マンスールは元々イラク人で、シーア派の最高ムラーであったから、イラン同様、シーア派が国教になっているイラクでは、重要人物として崇められていた。
「あなたはイラク人で、しかもイスラム教の最高僧であるのに、どうしてリビア陸軍中尉なのですか?」
モハマッドの忌憚のない質問にマンスールも真摯に答えた。
「わたしは、シーア派のムラーと言っても、スーフィーですから、公のイスラム教徒からは認められるどころか迫害を受けているのです。
閣下と出会ったのも、バビロンのスーフィーだったわたしが迫害を受けていたところを、バグダッドに亡命しているイランのホメイニ師の計らいで、命からがらエジプトのアブシンベルに逃げ落ちることが出来たのです。
そこで革命工作の為にリビア国外に身を潜めていた閣下とお会いして、傍に置いて頂くようになったのです」
マンスールからはフセイン大統領の話は出なかったが、ホメイニ師を引き取り面倒みているのがフセイン大統領であったから、マンスールをイスラム教徒の迫害から国外に避難する実質協力をした黒幕は誰であるか、モハマッドにも理解出来た。
フセインがイラクの大統領になったのはバース党党首であり軍人であったことが重要な要因であった。
革命を成功させ、当時実権を握っていた軍人カセムはファイサル2世イラク国王を処刑した。しかし、アラブ連合の絆であるMETO(バグダッド条約機構)から脱退してナセルと対立した結果、イラク国内で孤立し、バース党によるクーデタに遭い、彼も処刑され、その後を継いだのがサダムフセイン現大統領である。
カダフィー同様、フセインは石油を戦略として利用するのに長けていた。
アラブ産油諸国にとって石油は国家戦略に欠かせない。
油田の権利は、非常に複雑である。
掘り当てた所が自国であっても、油田は隣国と共有している場合がほとんどである。
イラクの油田はサウジアラビアに次ぐ、埋蔵量を誇っていたが、隣国のクエートと油田を共有していた。
OPECで、原油汲み上げ量が決められるのも、隣国同士、油田を共有しているケースが多く、イラクの油田とクエートの油田は同じ油田から汲み上げられているからだ。
ライト油田を誇るサウジアラビアが汲み上げ量で断然トップの量なのは、油田を共有する隣国がないからである。
油田というのは、ハット型帽子のような形状をしており、ハットが何枚も重なっているものをイメージすれば分かり易い。
大手石油メジャーでヨーロッパ最大のロイヤルダッチシェル石油はイギリスとオランダが合併した卸売りメジャーだが、オランダが旧宗主国であったインドネシアのプルタミナ石油を牛耳っていた。それがアメリカと日本の戦争の直接の原因である。
当時、発見されている油田の中で、プルタミナ石油が持つ油田は25枚のハットを持つ大油田であり、日本はそのインドネシアから10%の石油を輸入していた。それをアメリカのルーズベルトがABCD包囲網作戦で日本を孤立させ戦争に引っ張り込んだのである。
Aはアメリカ、Bがイギリス、Cは中国、Dはオランダのことである。
戦後、サウジアラビアは、その油田のハットが32枚もあり、しかも良質のライト原油が出るため世界石油戦略上、戦前のインドネシアと同等以上の重要な国となった。
今度はそれをアメリカのスタンダード石油が独占した。
世界大戦前も大戦後も、依然欧米諸国は同じことをやっているのである。
そこへ産油国の国有化の嵐がイラク、リビアで起きた。
欧米諸国の石油メジャーにとっては由々しき問題である。
そこで政府を動かして、リビア、イラクを叩こうとしているのが裏の世界の実体である。
モハマッドとマンスールを載せたリビア空軍機はバグダッドに向かった。
バグダッド郊外のチグリス川に沿ってあるイラク空軍基地に着陸したリビア空軍機を出迎えたのは、フセイン大統領の個人秘書のアバスであった。
アバスはホメイニ師の面倒を見ているシーア派のムラーであったが、マンスール同様、軍人で陸軍大尉であった。
「マンスール様。祖国へようこそお帰りなさいました」
アバスはマンスール中尉よりも上の大尉であったが、最敬礼をした。
「この方が、モハマッド・ハッサン氏です」
マンスールがモハマッドを紹介すると、アバスは緊張した表情に変わって、モハマッドの肩を抱きしめた。
これがアラブの世界で、最大の敬意の表し方である。
モハマッドはアバスの自分に対する応対に内心驚いた。
「これから、世界を震撼させてくれるアラブの英雄になられる方ですね」
アバスとマンスールがお互いに相槌を打っている様子を横で見ていたモハマッドは鳥肌が立つほど、今の言葉に戦慄した。
「これから、わたしはここで何をするのでしょうか?」
思わずモハマッドは二人に訊いてみた。
「聖戦(ジハード)の戦士のリーダーになるべく訓練をして頂くのです」
アバスが答えた。
「わたしが、その訓練に直接当たらせて頂きます」
『要はテロリスト集団のリーダーになる為に訓練を受けるんだ』
モハマッドは内心思った。
「これから、暫くはバグダッド市内で、ゆっくりして下さい。大変な訓練が待ち受けていますから、それまでは・・・・・」
三人を載せた乗用者はチグリス川に沿って、バグダッド市内に入って行った。
チグリス川に面したバグダッドホテルを横目で見ながら、車は市内の中心地に向かって行った。
急に、一際そびえる高い建物が目に入って来た。
「ここが、しばらく滞在して頂く、エリア・マンスールホテルです。スペインとの合弁で建てた,バグダッドで最高級のホテルです。カイロのようなカジノはありませんが」
マンスールは笑いながらモハマッドに言った。
「あなたは、一緒ではないのですか?」
モハマッドがマンスールに訊くと、首を横に振って、「わたしは、モスクでお務めがあるので、ホテルには泊まれません」と答えた。
「それじゃ、わたしもモスクに泊めてください」
モハマッドはマンスールとずっと一緒にいたかったが、「コーランを読誦(どくじゅ)出来るようになったら、泊まれるようになるでしょう」
マンスールとアバスは笑っていた。
この時、モハマッドは信仰心を失った自分を悔やんだ。
『これから、敬虔なモスリムになろう』
そう思ったモハマッドは、二人に向かって言った。
「すみませんが、コーランを読誦出来るまで、貸して頂けないでしょうか」
マンスールとアバスはニヤッと笑った。
「喜んで!」
『このホテルにいる間に必ずコーランを読暗出来るようになってみせる』
心の中でモハマッドは決心するのだった。
二人とホテルで別れたモハマッドは、最上階のペントハウスのスイートルームにベルボーイに案内されて入って行った。
ベランダに出たら、バグダッド市内が一望でき,下には真っ青な大きなプールが見え、白人の男女が数人で日光浴をしていた。
しかしモハマッドは、彼らを見下ろして、「フン!」と行って部屋に戻った。
『俺は、これからコーランと一日中にらめっこの日々を送るんだ』
プールで日光浴をしている白人の男女に対して無性に腹が立つのだった。
既に、史上最高のテロリストの精神に変貌しつつあるモハマッドだった。