第六十章  さらば愛する人よ

ザガジッグ墓地でのアバスの葬儀に、モハマッドは出席しなかった。
父親のオサマ、叔父のカスティーヨ、そしてサダト大統領も参列していたが、モハマッドは葬儀の場所から離れたナイル川の中州にあるドッキタワーの上から、様子を眺めていた。
叔父のカスティーヨと大統領が、耳打ちしながらひそひそと話をしている。
「今日の葬式は、君の甥であるあの青年の姉じゃないのかね?」
大統領がカスティーヨに訊いた。
「はい閣下、その通りです」
「なぜ彼は葬儀に参列していないのかね?」
カスティーヨが困ったような表情で黙っている。
「何処かで、わたしたちを見張っているのじゃないかね?」
褐色の肌をした大統領がドッキタワーの方に視線を向け、ニタッと笑った。
モハマッドはモスクワでのテレパシーの訓練で読唇術もマスターしていたから、彼らの会話をすべて読み取れた。
『さすが、大統領になるだけの男だ。俺の心を見抜いている』
モハマッドはドッキタワーの展望台にある望遠鏡を覗いていたが一瞬目を離した。
反対側に爆破事件で姉のアバスを失ったフンドック・アトラスが見えたので、一瞬心が動いた。
我に戻り、望遠鏡を再び覗いたモハマッドが叫んだ。
『ハンナ!』
サダト大統領とカスティーヨの間にハンナが立って、親しそうに挨拶をしているではないか。
「大統領閣下お久しぶりです」
ハンナが大統領の右手に接吻して礼をした。
「あの青年とは、どうしているのかね?」
大統領がハンナに訊く。
「しばらく会っていません」
大統領は微笑ながら更に言った。
「そうかね?先日ウィーンから一緒に帰ってきたんじゃなかったのかね?」
下を向いて黙ってしまったハンナを見ながら大統領が笑っている。
大統領に対する殺意がはじめて生れた瞬間だった。
『そうだ!トリポリに行ってカダフィー大佐に会ってみよう。その前にアレキサンドリアに行く必要がありそうだ!』
同じ名前のモハマッド・ガラブに会うことが先決だと思った。
彼はもう一度、望遠鏡を覗いてみた。
愛しいハンナの姿を瞼に焼きつけておきたかったのだ。
『さらば愛する人よ!』
モハマッドは一言呟いて、両側に見えるナイルの川の流れに、自分の未来を投影するのだった。

「砂漠の嵐(ハムシーン)」第一部−終わり−